詭弁試用:じゃあ、誤解しちゃうのも学校のせいにしちゃえ編

お題:また誤解した?学校のせいにすればいいじゃない。


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人間は誤解する生き物である。これは多くの人が賛同することだろう。一度自分の意図を言語なり映像なりに変換し、それを相手がさらに意図に変換しなければならないのだ。どの段階でも情報の欠落やノイズが入り、誤解が生じうる。なので、人間が誤解するのは仕方がない。ここで問題としたいのは、それが本当に「妥当な誤解」であるかどうかだ。


次のような例を考えてみたい。
「ファミレスで店員がこけて皿を割った」
この例から、「何故店員がこけたのか」という原因を考えてみよう。私が思いつくのは以下のようなものだ。

  • 「今日は雨が降ってるので床が滑りやすく、足を滑らせてしまった」
  • 「この店員は、このファミレスの評判を悪くするためのスパイだった」
  • 「客の誰かがわざと店員の足をひっかけた」

ここで、実際には「客の荷物に足を取られた」というのが原因だとすると、上の三つはどれも誤解だったと言える。だが、それは「妥当な誤解」だろうか?
一つ目の推測は、実際に雨が降っていれば妥当であると言えるだろう。だが、残り二つはどうか。私には(特に二つ目の推測は)妥当でないように見える。しかし、現実にはこのような「妥当でない」誤解が多くなされている。では、現実でのそのような誤解についても例を挙げてみよう。


梅田望夫という人物が居る(以下、各人物の敬称略)。ネットではかなり有名な人物であり、ネットに関わらない人でも「ウェブ進化論」の著者と言えば通じるのではないだろうか。その人が大規模なチャットイベントに参加したことがある。そして、そのログを読んだ人間が少なからず「妥当でない誤解」をしたのである。ここでは詳しく書かないが、「言ってないことを読み取るマン」で検索すれば概要はつかめるだろう。そのように揶揄されるとおり、彼らは言われていないことを読み取るという「妥当でない誤解」をしたのである。だが、普通に考えればそんな誤解は起こりそうもないことだ。何故そのようなことが起こるのか。私はこれもまた学校に責任があると考えている。


学校では国語の授業が行われる。この国語の授業でも、他の授業と同じく「答は常に一つ」というスタンスを取っている。数学の授業ならまだしも、国語では「それぞれに違った解釈があってよい」というスタンスを取るべきではないか。この問題の指摘は最近増えてきており、今更指摘するまでもないだろう。読者の方々もこの問題にはすでに気付いておられると思う。だが、「答は常に一つ」というスタンスのために「妥当でない誤解」をしてしまう、という問題はどうだろう。一見、関係なさそうに見えるが、これらは実は密接に関わっているのである。


あなたが「アレ良いよね」と誰かに言ったとする。これを赤の他人が聞いた場合、「アレとは何か」「具体的にどこが良いのか」などはさっぱりわからないだろう。だが、親しい人間ならば「アレは〜のことだ」とか「良いとは主に〜のことであり、〜が悪いのは知ったうえで言ってる」まで推論できるし、その推論もそんなにはずれてはいないだろう。
では、本の中の人物が「アレ良いよね」と言った場合はどうか。あなたは本の中の人物についてどれほど詳しいだろうか?さらに、本の一部分のみ抜粋された場合は?そのような状況では本来、妥当な結論は得られないはずだ。せいぜい「アレとはAのことかもしれない」「アレとはBのことかもしれない」という各種の予想が立てられるだけだ。しかし、その予想の中から一つを選ばなければ点数はもらえない。本当は予想だけでとどめておくべきなのに、その中から何かを選ぶことこそが正しいとすりこまれてしまうのだ。そのため、日常生活においても、いくつかの予想だけでとどめておくべきところで、一つを選んで断定してしまう。しかし、本来それは断定できるような根拠はないので、妥当でないものを選んでしまい、その結果として「妥当でない誤解」が広がってしまうのだ。


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中途半端だけど、疲れたので終了。後半はグダグダだな。
本当は、「チャットと国語の本の違い」とかも書きたかった。多人数の発言の寄せ集めであることとか、リアルタイム発話なので推敲の時間は短いはずだとか。
国語の本では「答が一つにもとまるような題材」しか扱わないので、現実世界の会話やブログに適用するには不向きだとかも。


思い付きから始まったので、「ネタ8割」だったはずなんだけど、書いてるうちに「あれ?これって妥当じゃね?」と思って「ネタ5割」になってしまった。詭弁おそるべし。あと、思ってた以上に長文になった。


今回は以前よりもさらに派手な詭弁を減らした。意見の捏造などは行わず、「あぁ、それはどっかで聞いたことある」程度の意見を使っている。後半は疲れてきたので詭弁の量が多くなっている。


書くのに結構時間が要る割には、methodシリーズほど自分の身にならない。せいぜい他人の文章を見て「あぁ、ここは書きづらいから詭弁使ってんな」と思えるぐらい?