未分類の雑記

・睡眠時間8時間くらい。なのに眠い。いつになく眠い。しんどさはそのまま。あるいは少し悪化くらい。足のスネがやや筋肉痛な感じ。
あと、「しんどいだけだよね」では起きれなかった。嫌な夢を見たせいか。


・また細切れの夢を見たのでメモ。
「あぁ、そういえばこういう風に扱われてたんだっけ俺」というのを思い出す嫌な夢。それが親戚を使って再現されているのでさらに鬱。
それとは逆におちゃらけてたのが「ゆるふわ愛され魔女学園」的な何か。「皆に愛されるために魔女になろう」という方向なのに「でも、先生たちってみんな彼氏いないよね」という方向に流れていく。全体的にカオス。
あとはアニメ的な逃走劇を観賞してたくらい。


・そいや、今週のジャンプのD.Gray-manに下書きが混じってることに気付かなかった。グルメ化してたのは初見の一回だけだったっぽい。「ちゃんと情報を摂取しよう」としてたからあんなに気持ち悪くなったのかも。


・今日はちゃんと自動でコンパイルまで通ったっぽいけど、今度はステージに入ると落ちる。
もう本当に新規案件がないので、動作確認できないと作業ができないなぁ。
調べ物しててもいいんだけど、眠くてあんまり複雑な情報は摂取できそうにない。


・「答を自分で見つけること」の意義は、「自信」で説明できるかも、と考え出す。
例えば「Aさんが言ってたから正しい」というのと「自分でやったらそうなったから正しい」というのは、サンプル数は1で確実性に関してはたいして変わらないかもしれないが、本人にとっては「伝聞による学習」と「自分の行動による学習」ではその学習への「自信」は変化するはずだ、とかなんとか。


・あと、派生で、「自分の頭で考えろ」という文は嫌いだけど、「自分の頭で"も"考えろ」なら多少は受け入れられるか、という気になる。
他人の学習結果をそのまま採用するのも阿呆だが、まったく使わないで毎回自分で解釈するのも同程度には阿呆だ。学習コストがなんら軽減されてない。「他人の学習結果」に対しての重み付けが「1.0」であるか「0.0」であるかの違い。どっちも極端。で、この係数の調整にコストをかけすぎるのも、それはそれでやはり阿呆だ(総コスト的に考えて)。そう考えると、「自分と同方向の思考をしている=自分の学習パターンと似ている」という方向からの重み付けの上昇は、案外妥当なのかもなぁとか考える。「自分の採用したいものだけ採用する」的な、そういうアプローチもコスト的に見れば悪くはない。ただ、それだけだとどうしても単一の方向にしか学習が進まないんだよなぁ。つまり、いろんな方向を受け入れられれば学習の方向もあっちこっちに伸びるのか?しかし、それって現状の自分であり、自分を観察する限り「いろんな方向を受け入れる」だけでもやっぱりダメだ。


・学習のコストをとことん下げたい、という欲求が自分にはあるらしい。「学習なんてただの手段であり、それを極めようだとかそれを目的にしようだとかは考えない」とか考えてるっぽい。学習はそれ自体はなにも生まないからなぁ。少なくとも文章化して他者への伝播をする、くらいでないと保持してるだけでは何も生まない。間接的には十分に役に立つのだけど。


・ややマイナスに傾き始める。まずいなぁ。体調が悪い状態で精神状態まで悪化すると、さすがに色々とダメになりすぎる。ひとまず、さっき見つけた「反発」を動力源にして動いてみる。
「反発」は具体的には、「だから何?」という感じのマイナス方向の動力。「憎しみ」とかに比べると力は弱いものの副作用はなさそうな感じかな、ということでマイナスだけど採用。とりあえず「反発」と呼んでるけど、感情で言うと何になる?「むかつき」?雲雀さんか!
「憎しみ」だと人相が悪くなっていかん。「反発」ならとりあえず醒めた感じでもいけるので、なんとか通常状態は維持可能。
しかし、昔はずっとあの人相で生きてたんだなぁ。てことは、今は変わったってことか。ぼへーっとしてるもんな。いつ変わったんだっけ。大学か。あれか。「泣いてもいいんだ」とか「笑ってもいいんだ」とか気付いたあたりか。大学2〜3年くらいか。もう5年くらい前になるんだな。また色々思い出してくるな。「腑抜けた顔をしてるとつけこまれる」「他人は敵だ」という状態だったんだよなぁ。今はもう「他人は他人だよ。そんなに俺に興味を抱いたりしないよ。」という感じだもの。


・つまり、「人物」について調べるなら、Wikipediaよりもその人のブログを見たほうが早い、とか。うん、色々違うな。


・眠さがやってくる。まぁ今日はあと少しだからなんとかなるか。


・どうにもコンソールで作ったexeは調子が悪い?一回だけではなんとも言えんか。明日の挙動を見てからかな。projectファイルが更新されてるのにslnに反映されてない、という問題だったりするんだろうか。slnは閉じてから帰るか。


・ふと「ゲームを作りたいなぁ」と思って、「じゃあ今作ってるのはなんだよ」とツッコミを受ける。


・そういえば、こないだの増田のエントリは、半分は釣りかもしれないけど、半分は本気かもなぁとか。うちのプロジェクトにあの増田が居てもおかしくはない。実際、今回のゲームもうちの家族(というか兄弟)は遊ばなそうだし。さらに、いわゆる「海外向け」のタイトルだしなぁ。国内でもそう売れるとは思えない。(前回の予測よりは売れるかなぁとか思っているけど)
上の「ゲームを作りたいなぁ」っていうのも、結局のところ「弟たちと遊ぶナニカが欲しい」ってことなのかもなぁ、とか思う。


・じいちゃんの方から「孫よ。このゲームでわしと対戦せんか。」とか言えるゲームがあると良いんだけど。重要なのは「じいちゃんの方から」言える事だ。


CEDECのレポートが上がってきたので読み中。以前よりはだいぶわかるようになってる。「どこから作ればいいんだろう?」の概要が読めるのは素直に嬉しい。「社長が訊く」を読んでる感じ。
あとは(他のあれの)連想メモ。「AS3上で動く簡単なスクリプトがあれば、それだけで案外ゲームは作れるのかもなぁ(Squirrelでの制御の話)」「ケータイゲーム以外の(PCとかの)ゲームもケータイで課金できる、というアイデアはなるほどなぁと思った」


・あとあれだ。「モデルを作る」というのと並行して、「容量を〜Mまで抑える」という制約で作ってみたら良いんじゃないか。全体の容量をしばって、モデル・アニメーション・テクスチャを作る。あまりそういう「アンチ富豪プログラミング」というか「アンチ富豪モデリング」は好きではないけど、容量の感覚を実感レベルで得るには、そういうパズル仕立ての方が早いと思うんだ。


・例えば「グーを出すからな」と言って、その後の結果に応じて「信じてやんの、バーカ」という出力を出す「ただのプログラム」ならば、対人と同様に「悔しい」などの解釈は導出できないだろうか。「解釈を誘導するための手段」としての「台詞」。「対人戦っぽくみせる手段」としての「科白」。