今日の雑記

・睡眠時間7時間くらい。食事のタイミングを試してたら寝付けなかったでござる。今回は眼がシパシパしてちょっとつらい。起きるのはつらいが、昨日と同じく行動してたら眠気は薄れる。


・「他人を観察する」のは難しいが、「自分を観察する」のはさらに難しい。のか?
ここでの「観察」を「特徴の抽出」とすると、「特徴」=「他の人との差分」と考えることができ、ゆえに「他人を観察する」=「他人の特徴を抽出する」=「他人と自分の差分を考える」と近似できる。しかしこれが「自分を観察する」になると「自分と自分の差分を考える」になり、この考え方は適用できない。厳密には、自分単体で完結できない。「自分を観察する」場合にも「他人」が必要になる。さらにいえば「自分の普通でないところ」を見極めるには「他人にとって普通なところ」との差分が必要であり、「他人にとって普通なところ」を知るにはたくさんの「他人」が必要になる。
かなり恣意的に言葉を選んでいる部分はあるが、それでも「自分の長所は自分で見つけづらい」ことの一因としてこういうのはあるかなーと思った。


・昨日よりもやや眠いが、それよりも目を開けてられないのがつらいな。コードが読みづらい。


・おぅふ。素で母の日を忘れてたぜ。はてダのお題で気付かされるとは。帰郷してると忘れてしまうもんだな。こっちに居ると気づいてメールくらいできるんだけどな。


・数年くらい前に、ここにすら書くのもアレだなーという内容があったのだけど、それでもやはり書いておくべきだったな。自分を動かした「要因」だとかそれに対する「感覚」だとか、そういうのをメモしておければそれを他人にも適用しやすくなったはずなのだ。
ということで、今のうちになんか書いておくか。


・ソレ関連の話でいえば、「将来どうなるか」をどう想定しながら行動しているか、の話が近いのでコレを書いておこう。
現在の自分の行動指針に大きく影響を与えている前提は2つ。「コピーできるものはコピーされる」と「広告はなくなる」。
「コピーできるものはコピーされる」というのはすでに色々なところで言われていることそのまま。現状ではDSとかがコピーソフト対策のイタチごっこを繰り広げられているが、労力的に考えて「コピーできるものをコピーされないようにする」というのは割に合わないだろう。すでにグリーとかで「コピーできないゲーム」は存在するようになってきたし、たぶん探したり作ったりするのは十分可能だろう。ただ、それは「まだ見ぬ形」であるために製作コストが高く付きがちだが。金銭的なコストというよりも能力とかの学習コストや時間的なコストの面で。
「広告はなくなる」というのは「全ての人間がマイノリティになる」という前提からの導出。「全ての人間がマイノリティになる」という方はある程度すでに言われていて、例えばそれはブログやTwitterなどのサービスにおける繋がり、あるいはそれらの上で起こる反発から推測できる。そして現状における「広告」とは「マジョリティのためのもの」である以上、段々と広告をうつ意味は薄れていく。ウェブリテラシなるものがさらに広がれば広告のクリック率も下がるだろう。故に「今のままの広告」はなくなると考える。形を変えて残っていく可能性はあるが、なんにせよ「広告に頼らずに収益を出す仕組み」を考える必要があるだろう、と考えている。
そんなわけで現在は「広告に頼らずに収益を出し」「コピーできない、あるはコピーされても問題ない」仕組みを考えつつ実践(の前の検証)を進めている段階。で、今の仕事と並行してあれこれやったもんで体調を崩してしまった、と。


・うん。このレベルの戯言は内容的にも長さ的にもTwitterには書けんからここしか書くとこないな。最近、この雑記の量が減ってたので、Twitterを機にやめるのかと心配していたのだ。


・んだば、もう少し続き。
「コピーできないデジタルデータ」のベタな例としては「サーバに置いてあるデータ」がある。ちゃんと言葉を足せば、「ユーザがコピーできないデジタルデータ」だ。そして、ネイティブアプリからウェブアプリへと移行する流れはこれをサポートしている。
「広告じゃない宣伝」の一つとして「書評エントリ」などがある。「広告」として見せるのではなく、「ネタ」を提供することで「エントリ」などの形て見せる。現状の「広告の自動マッチング」の惨憺ぶりを見る限り、「エントリレベルまで"自分に関係が深い情報"を見せる」という状況まで自動マッチングが向上するのは期待しない。


ブロントさん「これ書いたの絶対デスマーチだろ・・汚いなさすがコードきたない」