今日の雑記

・睡眠時間8時間くらい。もう少し床につくのが早ければ良かったのかな。寝つきはふつーくらいだったし。


・自分が「啓蒙」を嫌いである理由や、「自分と反する人間を許容する」ための術を一つ思いつく。
「人類の多様性を担保するためには仕方のない副作用」。
「啓蒙」は「多様性」の否定。「間違いを正す」というのは「間違いは許容しない」ということ。「間違いを撲滅すること」を是としたくはない。
「自分と反する人間」は「多様性」実現のための必須事項。ただし「反さない人間」もまた「多様性」として存在する。


・例えば「Twitterに何か書く」というのは「他のあらゆる人があらゆる時間で見られる」という点において「つぶやく」というよりもむしろ「叫ぶ」に近い。フォロワーが1桁であればまだ「つぶやき」の範囲だろうが、2桁になると「しゃべり」になり、3桁になると「叫び」になり、4桁になると「怒鳴り散らし」になる。
という感じで「実際の受信者の多さ」を考えると、この雑記はやはり「つぶやき」のレベルだよなーとか考える次第。しかしそれも「はてブによる晒し」などで急激に「叫び」に書き換えられるところは見ているので、後で変わってしまう可能性はあるんだよなー。


LDRを使って「読み飛ばす」時にかなりの「脳内フィルタリング」がかかっていて、なんとなくタイトルとかを目にした段階ですぐに読み飛ばせるようになっている。
で、これはこれで便利なんだけど、これって「連想機能」を意図的に抑えたりしてるわけで、それはそれでちょっとどうなのかなーとか思った。LDRに登録してあるのはどんな形であれ「自分に関係しそうなもの」なわけで、それを元に「連想機能」を使えばさらに色々と広げられそうなのがもったいない感じ。かといって毎回連想機能を使うのはコストが高くなるわけで、「じゃあ連想しよう」とはならないんだけども。


・「信頼度」は「重要性」に比例してさえいればいい、のかな。
さして重要でないものを自ら時間やお金などのコストをかけるのはムダだし、逆に重要なものを特にコストをかけずに無条件で受け入れるのは危険すぎる。
ただ、「重要性」という言葉もそれはそれで定義が曖昧で、「自分にとって重要なこと」が「全体にとって重要なこと」であるとは限らないし、逆もまたしかり。今の自分であれば「自分にとって重要なこと」にコストをかけるだろうし、昔の自分であれば「全体にとって重要なこと」にコストをかけるだろう。どちらが正しいとかではなく、方針の問題。
さらに考えをすすめていくと「コストパフォーマンス」の話も絡むよなぁ。たとえ重要であろうと、「調べるコスト」と「対応するコスト」がその重要性よりもさらに高ければ、「とりあえず受け入れる」というのもそれはそれで一つの手になるだろうし。


・上の「どちらが正しいとかではなく」という部分に昔の自分が脳内反論してきたのが興味深かったのでちょっとメモ。
要約すると「自分にとって重要なことを優先したら他人に迷惑がかかるだろ!」的なもので、「正しさ」を「全体のためになるか」で定義しており、それが昔の自分の「全体にとって重要なことを優先する」という行動理由にもなっており、故にそれはただの「自分の正義の押し付け」にしかなっていないというか、「自分の正しさ」を「相手の間違い」にすり替えてしまっているというか、なんかそこらへんの無自覚さが面白いなーとか思った。ちょっとうまく書けんな。


・「需要・供給曲線が価格を決める」というわりには「会社の人件費とかもろもろ考慮したうえで(供給側の都合だけで)価格を決めている」ように見える。


・そういえば5.1chだとかで後ろにまでスピーカーを置くのは知ってるけど、さすがに上や下にスピーカーを置くのはまだ見たことがないな。あるのかな。


・「〜を強制したって僕は得をしない。だからこれは僕のためじゃない」ってのは「〜を強制しなかったら僕は損をする」ということを隠してたり。


・「賢いor愚かである」×「干渉するorしない」の組み合わせにおいて一番有害であるのは「愚かである×干渉する」だと思っているので、「干渉しない」を選びがち。「賢くなる」のコストは高く、その維持コストもまた高い。