今日の雑記

・睡眠時間8時間くらい+α。今回はわりと長時間グダグダしてみた。こっちの方が良いのかもなぁ。どうせ寝れるタイミングは遅くなってしまってるし、ここからさらにズレてもまぁ良いかという感じだ。月末までに戻せば良いのだし。


Splatoonの甲子園を見つつ今日も読書で個人の作業。今日は第6章。マーケティングの戦略について。


マーケティングの「戦略」である。すなわち大目標を達成するための最上位の部分である。
それ故に開発〜宣伝までの全てに影響し、全ての部門がこの戦略を理解・意識している必要がある。
個人開発の優位性は戦略さえ立てておけば共有が必然である、という部分だろうか。会社が大きくなるとこれを共有する事も意識して動く事も難しくなると思う。


・芸術分野においては、というか展覧会などにおいてはプロダクトは「作品そのもの」ではないらしい。「作品を提供する環境」がプロダクトとのこと。
例ではレストランが出てきており、料理そのものは腕さえあれば他の人でも作れるわけで、レストランの存在価値は「その料理を特定の環境で提供する事」となる。
同様に、展覧会でも作品そのものではなく作品をどのように提供して顧客を満足させるか、がプロダクトとなる。
これはゲームにおいても同様だろうか?ちょっと難しいかな。ゲームセンターであれば「場の提供」として応用は可能だろうが、自分がやるであろうスマホゲームだと「場の提供」までは不可能だ。導線などの整備はやるだろうが、しかしそれはおそらく広告とかの方になるだろう。


・パッケージングか。プロダクトにおける優先順位。そしてそれはターゲットごとに異なる。
例えばクラシックの演奏をやるとして、「曲目」「出演アーティスト」「開催日時」「開催場所」など色々な要素があるが、新規層だと「曲目」が優先され、コア層だと「出演アーティスト」が優先される。


・ジャンルごとのニーズ。自分の場合はそれほど気にしてないんだよなー。気にするべきだろうか。


・場所に関する情報は自分とはあまり関係ないから軽く流すだけで良いかな。というか目が滑る。


・価格の設定は難しいよなぁ。安くすれば売れるというものでもないし、芸術やゲームにおいては安い=質が良くないと思われる可能性もある。無料にするとアレな顧客の流入率が上がるのもある。
特に個人開発の場合はターゲットはわりとコアな層になりやすい。であれば多少値段が高い方がターゲットの明確化のためにも良いのかもしれない。
ただ、そのためには一定の質が必要な気もするし、それは個人で果たしてまかなえるかという問題がある。


・ちょっと顧客から具体的に考えよう。
自分の場合の顧客は意外と「個人開発者の事情」を知っているんじゃなかろうか。一人で全てを完璧にする事はできない、というこちらの事情を理解している。それ故にピンポイントで重要な部分に注力さえされていれば品質自体には大きな文句は出ないようにも見える。
ただ、ちょっと自分に都合良く考えすぎかな。ここらへんはもうちょっとちゃんと観察してデータ取ってからじゃないとなんとも言えないか。ただ「そういう可能性がある」というのだけ片隅に覚えておこう。


・なるほど。「値段が安い方が喜ばれる」というのは「代替案がたくさんある」からか。他に娯楽としての代わりがあるのなら、安い方を選ぶ事になる。
故に「代替案が存在しない」という事が値段においては重要になる、と。


・宣伝からコミュニケーション。プロモーションの原義:pro+moteは「前に進める」こと。すなわち顧客の理解を進める事。
これは自分が以前に書いた「対話」そのものだよな。役に立ちそう。


・芸術においては「どんな催しをしているか」だけでなく、その目的や趣旨まで「理解してもらう」こと。それがプロモーション。


・ここは潜在顧客へのアプローチも含める。つまり、今回はプロダクトそのものに興味を持ってもらえなくても、提供者の情報は伝えておくことで次へつなげる。
ここの発想はなかったな。宣伝と言うと商品そのものだけに注力する事しか考えてなかったし、製作者の宣伝はまた個別に考えていた。


・第6章長っ。今までの章の3倍くらいあるぞこれ。今日はこの章だけで終わりだな。


・ぼんやりとしたニーズか。そりゃまぁそもそも自分の商品をピンポイントで欲しいと思って買うのは珍しいわな。
「なんとなくゲームがしたい」「変わったゲームがしたい」「スマホでゲームがしたい」くらいのぼんやりとしたニーズで、その中の一種として自分の商品が存在しうる。
情報と出会うにしても、「広告などで勝手に目に入る」というのもあれば「検索して探す」というのもある。プロセスの種類をあれこれ想定する必要もあるか。


・コンテンツそのものの情報と、美術館としての情報。コンテンツはそれ1回限りだが、美術館としては継続している。「美術館として情報をどう継続的に伝えていくか」というのはコンテンツとはまた別の課題として存在する。
同様に、自分が作ったコンテンツと、自分自身の情報はまた別だよな。さらに言えば「クリエイターとしての自分」が間に挟まっるべき感じがある。この中間の特化部分がやや足りてないか?あるいはコンテンツ特化としてみても足りないか。Twitterだと「クリエイター以外としての自分」の比重も多いから、「クリエイター部分の情報だけ欲しい」と思う層にはマッチしていない。ブログも技術解説とかがあってターゲットが混ざってるからな。
動画とかだと「販売を開始した時」だけすぎるというか。それ以外の情報を出したい時に動画は適切か?という問題がある。


・コンテンツがない状態でも「製作者への関心を維持する」というのは必要なのかもしれない。個人で必要かどうかは不明だが、少なくとも「コンテンツを出した一瞬だけ」というのはなんか違う気がしてきた。
あるいはその中間の「変なゲームへの関心」を維持するとか、その意味で言えば、自分が作ったコンテンツ以外のそういうゲームを紹介するのはアリなのかもしれない。特に自分が中心に紹介していけば、そこにアンケートを組み込んだりしてデータが集められるかもしれない。
ただ、そうなるとコンテンツの制作がかなり圧迫されそう?あるいはそういったゲームの情報収集自体もコンテンツ制作の一環としてしまえば良いのか?
候補にはなるが採用を即決できるようなものではないか。


・今日のぶん読み終わり。疲れた。
本も2/3は読み終わったし、そろそろ自分の場合にやるべき事をまとめ始めようかな。その前に休憩。


・まずは何よりも先に「理念」が必要か。現状では単に「作れるから」とか「自分が遊びたいから」という理由でしか作っていない。例えば変なゲームを作るのは自分以外では難しいし、それ自体に一定のニーズはあるかもしれないが、現状ではそれだけだ。理念のもとにやっているわけではない。
理念があれば「変なゲームを作るべきか自分が遊びたいゲームを作るべきか」という悩みに対して一定の対処ができるし、コンテンツ以外にクリエイターとしての自分を伝える事もしやすい。さらに顧客としても「そういう理念ならそういうゲームが出てくるだろう」と予測や期待がしやすい。
しかし理念というからには「これだ!」と自分自身が強く思えないとダメだろう。単に適当なラベルを貼り付けただけでは結局迷ってしまう。「こういう世界を自分は欲しいんだ」「この世界に賛同してくれる人はそれなりに居るはずだ」と思えないとダメだろう。
しかし現状ではそういうのがパッと出てこない。


・視点を変えて、そもそも「自分はどういう世界を望んでいるか」について考えるか。ゲームとは関係なしに。
パッと思いつくのは「広告のない世界」かな。もっと厳密に言えば「ゴミが目につかない世界」という感じか。不要な情報にアテンションが取られるのは甚だ不愉快だ。自分がゲームとは別で作ろうとしている「汎用ミュートシステム」はこれを実現するための一手だ。
これをゲームに転化して考えると「広告も課金もないミニマムな有料ゲームがもっと存在するべきだ」という感じだろうか。感覚としては確かにそういうのはある。ただ、理念というにはちょっと文章がまだゴチャゴチャしてる感じはある。
似たようなものだが「ちゃんと自分の欲する情報を提示してくれ」というのもある。単にゴミ(不要な情報)が排除されるだけでなく、残った情報もちゃんと自分に沿った優先付けをしてくれ、というもの。そのためなら別に個人情報は使ってくれて構わないと思っている。
これまたゲームに当てはめると「自分が望むニーズにピンポイントで応えるゲームを作ってくれ」という感じだろうか。「ニーズにピンポイント」というワードで表せばかなり最小限に色々と伝えられる気はする。


・そうだな。ニーズに「ピンポイント」「特化」とかそういう感じか。それは確かに自分で信じられる。ボリュームを増やすためだけの水増しなど要らない。色んな層を取り込むための要素の寄せ集めはしない。ただただ特定のニーズを充足させる事に特化したゲーム。そういうのは確かに信念を持って作る事はできる。
そしてこれは「変なゲーム」を作る事と「半端なニーズを完全に充足させるゲーム」を作る事の両方に当てはめられる。「変なゲーム」の方もそれはそれでニーズが存在するだろうし。その意味では包括的と言えるが、同時に迷いをなくすためには使えない。


・再びゲームとは無関係な信念の話に戻る。
「親しい人達ともっと遊べる世界」とか。これはそもそも自分が個人開発で食っていく理由でもある。その意味では自らがその体現者でもある。商品レベルでなく本人レベルで信念を体現していると言って良い。
しかしそれを満たすゲームを作るのって難しいよなぁ。個人で通信系のゲームを作るのは難しい。別に通信が必須とまでは言わないけれど、親しい人達と遊ぶならやはり通信系を外して作る方がもっと難しいだろう。
でも理念としてはさっきのものよりずっと相応しい。何より自分自身が実行しているというのが大きい。単に信じているだけでなくすでに実行している。
ただ、もしゲームでそれが実現されてしまった場合、個人開発で食っていく理由がなくなる。少なくとも薄れる。それぞれが離れた場所に居て、それでも一緒に居るかのように楽しめたのならそれは素晴らしいけれど個人開発で独立して実家に帰る理由が薄れる。
まぁ母親の件もあるから帰省する理由がなくなるわけではないが、パラドクスとまでは言わぬまでもなんか変な気分にはなる。いや、手段にこだわりすぎてるだけなのかな。離れていても一緒に居るかのように楽しめるなら自分の目標の方は達成されているはずだ。
どちらかというと問題は「それって具体的にどんなゲーム?」って話だ。個人で作れるようなものか以前に、そもそもそれは存在しうるのか?


・一応真面目に考えておこう。「離れていても一緒に遊んでいるかのようなゲーム」とは。
とりあえず「会話」は必須か。後ろでわいわい言うにしても、通信で対戦や協力をするにしても、会話なしでは「一緒に遊んでいるかのよう」とは言えない。これはSkypeで補えなくもないが。
・・・
会話以外の要素を考えているけど思いつかないな。正直「Skypeしつつモンハン」で十分満足してしまうと思う。無論、どんなゲームでもSkypeがあれば十分ってわけではないのだが、Skypeとモンハンのような例がすでにあるのなら自分がわざわざ参入する意味もないかな、という感じだ。


・そろそろ良い時間なのでまとめて終わるか。
理念をまずは考えておきたい。現状の候補は「ニーズ特化」。大抵のプロダクトはなんらかのニーズに応えるために作られているとは思うが、水増しや複合も多いため、個人での利点として特定のニーズに特化したものを提唱する。


・23時過ぎからだいぶ眠くなってきた。今日は起床したのは12時過ぎだったんだけどな。