FPSは何故リアルな表現を求めるか

昨日寝る前に考えてたのを覚えていたのでメモ.割とベタな説明なので,たぶんどっかで同じようなこと書かれてるだろうなとは思う.


FPSと他のゲームの大きな違いとして,「自分の動かすキャラクターが見えるか見えないか」という点が挙げられる.他のゲームでは「自分の動かすキャラクターはゲームの世界に居る」のに対して,FPSでは「自分の動かすキャラクターの位置=リアルの自分の位置」になっている.つまり,他のゲームでは「全てがそのゲームの中で閉じている」のに対して,FPSでは「ゲームの一部が(自分の位置として)リアルにはみ出している」.これにより,他のゲームにおいては「そのゲームの世界において整合性が取れていれば良い」のに対して,FPSでは「リアル世界が混じるため,整合性を保つにはゲームの世界もリアルに合わせる必要がある」.ゆえに,FPSはリアルを求められるという仮説.


そもそも本当にリアルを求めとんのかいなとか,いろいろ思うがまぁいいや.


きっかけは「視点はサードパーソンよりもファーストパーソンが好まれる」とか「自分がダンテになれるのが嬉しい」とかそういう海外の反応を思い出して,つまりゲーム世界の一部として自分が存在できることが嬉しいのか?とか思ったあたりから.