今日のウンコ

・睡眠時間6時間半くらいかウンコ。結局「好奇心」的なものを抑えきれずに眠れなかったウンコ。まぁ色々とわかったことはあるので、まずはそれをメモるウンコ。


・「眠いのに眠れない」という状況は、「眠いけど普通に活動している」という状態が長いと起こるのかもしれない、と思ったのだウンコ。
つまり、「眠い状態で自我を維持する」という状態に慣れる・安定してしまうことで、「眠くなったので意識が飛ぶ」という現象を起こせないのではないかと思うのだウンコ。経験上、「いっそ一度起きて(ちゃんと覚醒して)からもう一度寝る」と案外寝つきが良い、というのは記憶にあるウンコ。「レアケースだから記憶に残る」だけじゃなく、本当にそうなのかもしれないウンコ。重要なのは「覚醒状態→眠い」という「変化してる最中」なんじゃないか、と思ったのだウンコ。
まぁこれを試すには「ちゃんと目が覚めた状態」を作らないといけないので、それはそれできついウンコが。


・この前の「価値観の押しつけに対する反発」を内省していて、自分はいまだに「ファラリス信者」なのだなーと思ったのだウンコ。そこからまた色々と派生したのだウンコ。


・「信仰」とは「前提として採用する」ということだウンコ。「他のアレとコレを考えると、その信仰は間違っている」というのは無意味なのだウンコ。それは信仰を「結果」として扱っているのだウンコ。そうじゃなくて、その「アレ」や「コレ」のレベル、すなわち「前提」の側に信仰はあるのだウンコ。「信仰してるから疑わない」のではなく、「疑わないと決めたから信仰」なのだウンコ。
一般的な宗教は疑いまくりなので自分はそういうのは「信仰(前提としての採用)」ができないウンコが、「束縛<自由」という価値観は思いのほか「前提」に近いレベルで採用しているので、「自由を教義とする宗教」=「ファラリス教」の信者なのだなーと思ったのだウンコ。


・同じレイヤーの問題で、「ちゃんと考えればわかるはずだ」と言う人間が嫌いな理由がわかった気がするウンコ。
まず、この世界は矛盾に満ちているウンコ。陰謀論やらエコポイントやらダブルスタンダードやら、とにかく相反する情報に満ち溢れているのだウンコ。
そして論理学の話になるウンコが、「矛盾した世界ではなんでも言える」のだウンコ。Bという結論を出したいときはA(とB=>A)を採用すればよくて、notBという結論を出したいときはnotA(とnotB=>notA)を採用すればよくて、そして世界にはAもnotAも両方存在するのだウンコ。
つまり、「答」というのは「わかる(一意に定まる)」のではなく「選ぶ」ものなのだウンコ。正確には「前提を選んだ」うえで、あとは自動で導きだされるものなのだウンコ。「ちゃんと考えれば」というのは「同じ前提(価値観)ならば」という但し書きがつくもので、そんな但し書きがつくなら当たり前のことなのだウンコ。「価値観は共有されてるはずだ」「この価値観が正しいはずだ」というのを疑いもせず自覚もせずにいる状態が嫌いなのだと思うんこ。
しかし、「嫌いなことに理由はない」というのを考えると、この理由付けもまた微妙な感じウンコが、発想としては面白かったウンコ。


・以前に「自由」とは「多様な選択肢が存在すること」という感じで定義したウンコが、同時に「多様」という言葉に逃げていたウンコ。これにもうちょっとつっこむウンコ。
たとえば「服従か死か」というのも一応は「選択肢」だウンコ。「選ぶ」ことは可能でそれぞれに「別の結果」が待っているウンコ。しかし、それは「マイナスか0か」という話でもあるウンコ。
それに対し「服従か死か逃亡か解放か」まで選択肢が拡張されれば「もっと自由」だウンコ。つまり「自由」とは01の関係ではなく、幅を持つ概念なのだウンコ。「自由か否か」ではなく「どの程度自由か」で計るべきものなのだウンコ。
ついでに言うと、選択肢がやたら多くても「自由」でないのはすでに大半の人が体感してるはずだウンコ。テレビのリモコンが一番ベタな例ウンコか。


・「矛盾のある世界」は「自由のある世界」とも言えるウンコ。「全てが自明」であれば「選択の余地がない」ということだウンコ。それが悪いことだとは言わないウンコが、自分に合わない世界ではあるはずだウンコ。


・自分はタバコが嫌いだし酒も飲まないウンコが、電車に貼ってある「価値観が多様になっても全員一致で未成年の飲酒はダメ」みたいなコピーに腹が立つのだウンコ。「未成年に飲酒・喫煙はさせるべきでない」という「目的」には賛同するウンコが、それを「規則でしばる」という「手段」が気に食わないのだウンコ。例の中毒者の写真とかを見せたうえで「選ばせる」という手段の方がずっとマシだ、と考えるのだウンコ。


・明日の最高気温が14度とか出てるウンコ。ようやく秋かウンコ。