今日の雑記

・睡眠時間7時間くらい。すげー寝つき悪かった。体が暑いというアレではなくて、無思考がうまくいかない。睡眠不足+長距離徒歩+風呂のコンボでもダメか。


・今まで「運」なるものを信じていなかったけれど、あれは単に自分とはネーミングが違うだけなのかもしれない。
つまり、彼らは「自分には認識することも操作することもできないのに、こちらの結果に影響するもの」というものを想定し、それによって左右されることを「運」と呼ぶのではないか、と思うようになった。
世界の大部分は認識されない。そして認識できたとしても操作できるものなどごく一部だ。しかし天候にしろ景気とやらにしろ、自分の行動に大きく影響を与えるものも多い。その影響が良い方向に働けば「運が良い」と呼び、悪い方向に働けば「運が悪い」と呼ぶのだろう。
自分が想定していた「目に見えない力」みたいなものではなくて。いや、まぁ、「目に見えない」し「力」ではあるんだけど、「これからも運が良いはずだ」と言えるか否かの違うが出てくる。上の発想では、運とはただの結果論であり、「自分は運が良いからこれからも云々」とはならない。


・そしてそれはそれとして、自分は自分のことを「運が悪い」が「悪運は強い」方だと認識している。「運なるものを信じない」と書いたけれど、どうやら厳密には「運が良い」というものを信じていないか、あるいは運の良さをひがんでいるのだと思う。
自分も「運とは結果論である」というのは賛同する。理性側では。しかし本能側では「今までさんざん運が悪かった(会社を出て行こうとするたびに数十万レベルの出費が必要になるとか)」という風に「学習」してしまっているわけで、運の悪さを「前提」として反応を起こしてしまう。


・今現在は状態が悪い(というか良くない)わけだけど、状態が良い時のことをまた少し思い出した。
あの状態では「この有機物の塊こそが自分なのだ」と認識している。より正確には「自分の頭の中で思い描いている自分像は自分ではない」と思っている。おそらくだいぶ重要なことであり、場合によっては思考のループから抜け出す方法になるかもしれない。


・模倣。学習。幼少期。正当性。
幼少期は模倣する。模倣して学習する。周囲の人間がやっていることを真似ることで、生存確率の上昇や社会へ組み込まれることなどが可能。つまり「他者の模倣をすること」は「社会に受け入れられること」と同義であった。
という観点における「大人になっても他者と同じ意見であろうとする」ことと「社会不適合」あるいは「社会から弾かれることへの不安」。


・ちょこちょこデバッグ案件とかは来てるが、こなせる範囲。むしろ、ちゃんと意識的に休憩を取れるかどうかが問題。意識しとかないとついつい全部その日にこなそうとするからな。


・そういうわけで昔のネタ帳を見ながらあれこれ考えている。
「再解釈」というか「再発想」みたいなのはできる。「Androidでやるならどうするか」という「視点」を使って簡単に発想できる。連想能力の一種といえば一種だろうか。しかし、「自分がかつて考えたこと」以外のネタからの発想はできない。誰かの発言であったり何かの商品であったりそこらに置いてあるモノであったり、あらゆる人工物には「意図」が込められており、「何故その意図を持ったか」「同じ意図で何ができるか」などの発想ができるはずなのだけど、今はそれができない。この差がよくわからない。


・というか、「具体的に今どの能力がどれくらい使えないか」というのを自覚する能力がまず欠落している。もともと持ってなかった気もする。


・比較的昔のネタの方が発想が出やすい。おそらく、最近のネタはそもそもAndroidのことが片隅にあるので、すでに思いついてしまっているのだろう。


ゲームプログラマー養成テストとして、「60FPSだったら100点」という「コードの改善テスト」。