善悪ログの弐

まぁほげほげ。


ある「許されない行為」を、自分がやる場合は「罪悪感」を、他人がやる場合は「正義感(許せない)」を感じることがある。この対称性は常に起こるわけではない。「他人が浮気するのは許せないけど、自分は浮気してよい」という、いわゆるダブルスタンダードなどがそれにあたる。
では、何故「ダブルスタンダードは許せない」と思うのか。この対称性が破壊されているからか、それとも対称性に基づき「自分だったら罪悪感を感じる」からなのか、はたまた自分の学習パターンにそぐわないからなのか。
ダブスタについてはまたいつか(=予定は未定)考えることにして、とりあえず「対称性は常には成立しない」ということで。


「善悪」に関しても「恥」と同様、「身内」「世間」「他人」の区分にあたるものが存在するのではないか。つまり、「他人」に対しては「恥じらい」の感覚が小さくなるように、「ナニカ」に対しては「善悪」の感覚が小さくなる。
ということを、どこぞのエントリ(正義をどこまで適用するかの話)を見て思った。