「心の支え」分解メモ

雑記。


「財産」と「友達」の違いは交換不可能性などである。「友達」と「理念」の違いは物質か否かである。


例えば、「腕を切り落とす」と言われると拒絶する。「代わりの腕を用意するから」とか「新しい腕の方が素晴らしいよ」とか言われても無理。同様の考え方をすると、思考に極めて強く結びついているならば、それが悪かろうがなんだろうが切り離しを拒絶するのは自然か。ならば、「極めて強く結びついている」ということを示せれば良いが。


「悩み」の除去としての機能はあるものの、それだけだと宗教程度しか説明できない。もっと一般的な解がある気がする。あるいは、見えてないだけでソレは何がしかの不安を除去しているのだろうか。


「悩みの除去」=「状況判断能力の向上」。つまり、自分単体では決められない判断を、他者の判断を流用することで可能とする。一種の自己拡張として捉えることが可能。「自己拡張」ならば「自分と強い結びつき」?これでよいならば、宗教以外が何の悩み・不安を解消しているのか。


自分の「正義」(善悪)を後押しする存在?自分単体では自信の持てない善悪の概念を、他者の善悪の概念で補強。


ひとまずまとめると、

  • 自分単体では善悪の概念に自信を持てない
  • 「支持する対象」=「自分の善悪を後押しする存在」=「自分の善悪の概念の拡張」=「外部に存在する自分」
  • 「対象へのマイナスイメージ」=「対象の消失可能性の上昇」=「自信が持てない状態に戻る」=「自分への攻撃」

という感じか。多少融解はしているものの、まだ違和感・疑問は残ってるので他の方向を。


「友達」などが「自分の存在を肯定的に受け止めてくれる存在」であるならば、「自分に自信が持てない」状況で「守ろうとする」というのはわかる。だが、自分に自信が持てなくても守るんじゃね?とか思うので、もう少し何かあると思われ。
というか、「自分に自信が持てない」のとはわりと独立?(「自分に自信が持てない」をそもそもきちんと定義してないが)


例えば、「友達はたくさんいるから、一人くらい居なくなっても平気」というわけではないので、「自分の善悪の根拠はたくさんあるけど、一つくらいなくなっても平気」とは言えないのか。「重要な友達」と「そうでもない友達」が居るように、「重要な根拠」と「そうでもない根拠」が存在しうるのか。そもそも並べて考えてるけど、並べて考えられるものなのか。


ソレは「大事なもの」だと学習されている。


自己の投影?
自己の善悪の概念の投影?


もっと単純に、

  • 「支持する対象」=「自分の善悪の概念の拡張に含まれる」=「自分の一部」
  • 「対象のマイナスイメージ」=「自分へのマイナスイメージ」→攻撃

とか。
「自分の一部」であることはあまり意味がないというか、実感から逸れる。
「自分はどうでもいいけど、ソレは守らなきゃ」みたいな。
表現がまずいだけなのかも。「自分の精神の一部」とか「自分の理念の一部」とかなら多少近い。