ゲージュツえんこーでぃんぐ2

長くなったので羅列状態のまま分離。


・昨日の「デコードと自己解凍」の構造は「楽しみを自分で見つけるゲームと提供されるゲーム」にも似ているような気がする。ならばゲージュツというのも思ってるほど高尚じゃなくてゲームみたいな娯楽なんだろうか。


・日本語というか「言語」というものそのものがエンコードされたものなわけで、そう考えると「文」とか「単語」とか「音」ではなくやっぱりそれで表現しようとしたこと、エンコードする前のもの、デコードされた後のものが重要なのであって、さらにその考えで良くとそれを受け取る側にもやっぱりデコードの技術(読解力?)が必要であったり、あるいはデコードの技術がなくても大丈夫な表現手法があったりするのか。なんとなく「理屈」と「説得力」の差の説明に使えそうだけど、これはもう少し考えてから。


・「エンコード」とか言わないで「言語」で例えたほうがわかりやすいな。

自分の思想、感情、情報を「日本語」に変換して相手に伝えるように、
芸術は思想、感情、情報を「絵」や「曲」などに変換して相手に伝える行為である。
「日本語」が理解できない人間には「日本語」が伝わらないように、
「芸術」が理解できない人間には「芸術」が伝わらない。

日本語と英語の対比だとか、英語がわかっても英語のジョークはわからなかったりするよねとか、色々発展させられそうな感じではある。たぶんやんないけど。