「 初音ミクに便乗して創発的権力論再び」の要約及び自己考察

「何故自分はこのエントリをブクマしないのか」という疑問がやけに気になったので、その検証のために久々に要約。段落単位で対応付け。その後、その疑問の考察。

要約

  • こんなブログができてる。
  • 初音ミクの画像削除で怒る人がいる。
  • この怒りは何の怒り?
  • 「元に戻せ」という怒り。
  • つまり「プログラム」の結果をそのまま表示しろ、という怒り。
  • でも、「削除する」のも「表示する」のも同じ人だよね。

引用箇所

  • 「プログラム」だと喜ぶのに「コマンド」だと怒るのは何故?
  • googleは自称「プログラムの会社」なので「コマンド」を使うと裏切りと判断。
  • 「プログラム」は公平だけど、「コマンド」は不公平だ、という合意が形成されつつある。
  • こういう「プログラムへの信頼」は「権力」になっていく。
  • それは今までとは違う「権力」。
  • それを「創発的権力」と名づけて考察してきた
  • 我々はこの「創発的権力」を制御する方法をまだ知らない。
  • 電通googleの結託はない。
  • 電通=コマンド」「google=プログラム」であって、方向が違うから。
  • google八分」という「コマンド」を使うこともあるが、本当はそれも「プログラム」でやりたいはず。
  • 少なくとも、「コマンド」は最小化したいはず。
  • じゃあ、その「google八分」が「プログラム」で実現されたらどうか。

改変ネタ

  • 上の改変ネタは「プログラム」に従う限り自然な流れ。
  • ただ「プログラム」に従うのではなく、「プログラム」を制御する方法が必要。


構造だけ見ると、「改変ネタの唐突さ」とか「まとめの弱さ」とかあるのかなーと考えたりするけど、今回も文章の構造は問題じゃないので、思考に移行。

思考

まず、構造に分解しないと「権力の監視」=「プログラムの制御」が重要という点が根幹であることに気付けなかった。改変ネタをすっとばしてたのもあるか。改変ネタで重要なのは最後の「そして、彼らが私を八分にした時、私にリンクする者は、誰一人残っていなかった」の部分であって、「何をもって八分にするか」という部分を外部から制御できないとやばくね?というとこだ(厳密にはそれを一般化した概念)。本体の米欄まで見ると、「今までの権力=情報開示を求めれば制御できた」「新しい権力=その方法じゃ無理」と考えているのがわかる。
説明に時間を割きすぎた。問題なのは「何故ブクマしてないか」だ。ここまで考えると「ブクマしとこっかな」という感情がわくので、やはり「問題の重要性」を認識していなかったと考えるのが妥当か。
じゃあ、構造解析前はどう考えていたのか。もう少しメモしときゃ良かったなーと思いつつなぞると、「プログラムに関する問題である」という点までは認識していたはず。改変ネタはほぼすっとばしていたものの、「今の構造だとまずいよね」ということを示したいのだろうという風には認識していたはず。「じゃあ具体的にどうまずいのか」という部分の認識が欠如していたのか。そんな感じだな。


ということで、「重要だと思ってなかった」という結論。
原因は「問題の認識が正確にできていなかった」あたりだが、疑問自体の回答には関係ないか。

感想

毎回要約した方が良いのかもわからんね。まだしばらくは書いてメモしないと要約を追えない感じだけど。


そいや、「要約」と「改変」の違いはなんだろう。「文脈を無視して一部分だけ取ってきてあーだこーだ」というのはよくある悪例。上のも「曲解している」と言われてもしょうがないし。


あと、「流れ」自体は悪く見えないのに、構造解析をするまで情報をきちんとデコードできなかったのはなんで?「説明用の流れ」ってのはもっと別のものじゃないといけないのか?
単純に「プログラム」と「コマンド」という単語によって別方向に感覚が持っていかれてるだけかもしれない。
「プログラム」→「ルール」
「コマンド」→「例外」
とかすると感覚は近くなるし、「例外を許さない」という方向のほかに「ルール自体を制御する」という方向があるということも伝わりやすくなる。「例外を許さないという感覚」から「ルールを制御しようとする試みを許さないという感覚」を導く可能性とかも。ただ、これだと「電通は例外方向の権力」とかよくわからん表現になってしまう。
もっと単純に、「説明の対象に自分の層が含まれてない」というのかもしれん。「圏外から〜」は読んでない人間だし。そこらへんで形成される前提を共有していない、という考えが成立する。


「自分だったらどう説明するか」も実験してみたいが、今週は無理。現段階ですでに時間を割きすぎだ。
それでも少し考える。どうすんだろ。「じゃあプログラム的に初音ミクが八分されたら承服するか?」あたりから「ルール制御の重要性」につなげるんだろうか。「本当に人手を加えていない」ということが証明されて、その上で「これから先も初音ミクの画像は表示されない」という事態がこれからも続くということが証明されてしまった場合のこと?


「問題があるのはわかった」までで思考が止まってしまったのが「未分類の雑記」に入れた結論のアレで、具体的に「何がどう問題なのか」まで考えなかったのがアレコレ。時間ねえ。