未分類の雑記

・睡眠時間7〜9時間くらい。寝つきが悪かったのは覚えてるが、具体的にいつ寝たかは不明。寝起きの悪さは平日と同じくらい?とりあえず、水曜どうでしょうを再生しながらゴロゴロ。9時ごろに起き上がる。
早起きしても、まだ飯が買えないってのがモチベを下げる。


・逆に、TV以外にモニタを一個用意して、そっちをWii専用にしてやれば、番組表と録画の見比べが楽になるんじゃなかろうか。
どうせモニタは買う予定だから、試すのも悪くないな。


・風呂に入ってる間は基本的に暇なので考え事をする。しかし、メモれないのでたいていのことは忘れる。とりあえず、覚えてる分をメモしてみる。


・まずは、「解説技法」と「(ゲームの)チュートリアル」について。
情報伝達の視点から考えると、これらは同じものだと思っている。ので、そのノウハウは双方向に応用可能なはずだ。
例えば、ゲームは「前作からやってる人」「今作が初めての人」「そもそもそのジャンルをやるのが初めての人」「ゲーム自体が初めての人」などのユーザがいる。「トリセツを読んでからやる人」もいれば「いきなりゲームを始める人」もいる。たいていのゲームではユーザを特定の層に絞っているとは思うが、それでもチュートリアルによってできるだけ幅広くの人をサポートしようとしたりする。
そのサポートの仕方の一つとして「スキップできる」というのがある。これは、前作と同じ操作系だったり、そのジャンルではおなじみの操作方法だったり、途中で理解できれば後は不要だったり、わりといろんな状況で有効。なんらかのミスでスキップしてしまうことを考えると、後からもう一度確認できるようにしておくことが望ましい。
これを解説技法に当てはめると、「基礎知識」と「本体の説明」は分けるべき、となるか。ベタだなぁ。ていうか、前に書かなかったっけなぁ。書いた気がするから、これはここで止めておこう。


・次。「系」について。
「お金と仕事」について考えている。例えば、なんかセキュリティ的にしっかりしないといけない重要な案件があったとして、「タダ同然だけど素人」と「高額だけど玄人」ではどちらに頼むか、という問題。あるいは、「素人」と「玄人」を抜いて、「タダ同然の人」と「高額の人」のどちらを信用するか。
これは「信用」に対して「お金」を払っていると考えられる。いわゆる、「コピーできないもの」としての「信用」。
これを応用して考えようとして失敗した考えとして、「"こういう曲を作って"というお金による依頼」がある。これは、「信用」ではなく「相手のリソース(というか、相手というリソース?)」に対する対価と考えた方が適切な気がする。これもまた「コピーできないもの」。
例えば、「こういう曲を作って」という依頼だったら、依頼者もお金を払いやすい。その中から、「高額なものを引き受けることで、金銭的な余裕を持って自分の好きなことをやる」というスタンスや、「低額でも、自分のやりたいことをやれる曲を選ぶ」というスタンスが生まれる。前者ならば「仕事とはそういうものだ」という考えといえるし、後者なら「好きなことを仕事にする」という考えといえる。
「お金」がからむ「系」はまだ想像が難しい。自分にとってまだ「お金」の扱い方がきちんと学習されてないという部分もあるし、おそらく現在の「お金を払う」という行為の延長上でしか実装は難しいだろうなという考えとかがあるため。やはりクレジットカードを持って、そこらへんの感覚を学習すべき気がする。
→誤変換で「想像が難しい」ではなく「創造が難しい」が出て来て、まぁそれはそれでもっと難しいんだけどね、とか考える。


・次。「課金アイテムへの反発」について。
上の話とも多少関係がある。「お金を払うという行為の延長上」とかのからみ。
自分は「反発」と呼べるような感覚はないが、エミュできる程度には近い感覚だと思っている。
エミュした限りでは、その反発は「他との比較」によって発生している。例えばそれは「最初から全部入っていて定額のゲーム」と「本体は低額だけど追加アイテムが高額なゲーム」と。「全部入っていること=完全」とみなし、「今までのゲーム=完全なゲーム」であり「本体+全ての追加要素=完全なゲーム」であると考え、「今までのゲームの値段」と「本体+全ての追加要素の値段」で比較するために発生する反発。
おそらく、最初からゲームというものが「本体+あとからの追加要素」という形態だったら反発は起こらなかったのではないかと想像したりする。これは、「"TCG"とか"TRPG"とかに慣れ親しんだ人が、ゲームの課金アイテムに反発するか」という事象の観察で、ある程度検証できるんじゃないかという気もしつつ、「そういえば、TCGの販売形態自体に反発する人もいるなぁ。TCGは最初からそうだったからやっぱり別の原因なのか。あるいは"他の(TCG以外の)販売形態"と比較してるのか」とか色々ふくらんで面倒になって終了。



・次。「はてブによる炎上」と「解釈とコンテキスト」について。意外と思い出せるな。
全ての「解釈」は「コンテキスト依存」である、と考えている。「コンテキスト」さえ違えば、同じ事象であっても別の解釈が成立する、という思想。例えば、「高画質なゲーム」というのがあったとして、それがPS3なら「ふーん、PS3でこんなもんなんだ」となり、Wiiであれば「Wiiでここまで!」となったりする。あるいは、「鼻歌まじりにケータイをいじっている」のと「泣きわめいて暴れている」という事象があったとして、それが街角であれば後者はただの変人だが、目の前で大切な人が死んだ状況であれば前者の方が変人である。
これを応用して、「コンテキスト」を用意することで「はてブのコメントによる攻撃を抑制する」とか「はてブのコメントで気分を害さない」とかできるんじゃなかろうか、とか考えたりする。もう少し俺に関係ある方向に発展させようぜとか思わんでもない。ていうか、それは「コンテキスト」じゃなくて「系」をいじった方が良いんじゃね?とか考える。「そもそもコメント側が見ないようにする」とか「コメントされても、それが見えないようにしておく」とか。ということで、風呂では適用したのを考えたものの、面倒なのでメモらない。てか、休日なのに真面目なことは云々。


・休日は休息のためにコーディングは1日休むべきなのかなぁとか考え始める。どっちかというと、昼休みのコーディングを止めた方が効率が良さそうだけど。
しかし、コーディングをせずに何をすれば良いのか。SW2.0の弟たちへのチュートリアルを考えるか。あるいはWiiFlashで遊べるようになったから、Wiiリモコンを使ったスポーツを設計すべきか。結局はコーディングに向かいそうなことばかりだ。


・「奴隷を肯定するような哲学家なんぞと一緒にすんな!」という感じで、いまだに自分は哲学家が嫌いなようだ。以前に「別の視点」は獲得したものの、いまだに使ってないので定着してないらしい。何か読めば変わると思うんだが。
そういえば、哲学家を何故嫌うかについてメモしてたっけ。基本的には「自分の欠点を相手に見出すから」で、同属嫌悪の部類?「考えるだけで何もしない」という自分の欠点を見るから嫌い。これは、「哲学家=考えるだけで何もしない」という自分の定義に依存する問題であり、実際には手を動かす哲学家の存在可能性もあり、一般的に正しい論理なのかは知らない。ただ、こういう思い込みにより、「哲学家が嫌い→哲学家について理解しようとしない→哲学家の概念が自分の中で固定→さらに嫌う」というループが発生し、抜け出せない状態。
たぶん、「手を動かす哲学家」という存在を知るだけで、このループからは抜け出せるんだと思う。てか、休日なのに真面目なことは云々。


・じゃあ、不真面目に、「隠の王を見てて、延長への対応をちゃんと自分がしていたという事実にも驚いたが、彩冷えるのCMをやってたことの方に驚いた」とか。不真面目?趣味的ではある。しかし、思考自体も趣味ではある。


・また一つ思い出した。
中学だったか高校だったかで、「独り言」によって自分の思考を外部化する癖を作り、それを観測しようと思ったことがあった。今と変わらず思いつきで行動するだけなので、メモも取れないのにそれが有効だったのかはわからない。ただ、今でもたまにその手の「独り言」が発生しそうになって危ないのと、「発話」が「タイピング」に代わっただけで、本質的に「独り言」と「この雑記」は変わらないのかな、と思った。


・GWに入ったので、「恋愛感情(仮)」についてもメモろうと思ったが、さすがに量が多すぎる。真面目すぎる。とりあえず、簡単なメモだけしとくと順調かつ「俺ひど」だ。


・ケータイを買おうかと思っていたのだが、アドエスを触って「あれ?意外とこっちの方が数字を打ちやすいのでは?」とかなって、また迷い中。「何をしたいか」とか「何が出来そうか」とか、いったん外部化してまとめた方が良い気がしてきた。


・例えば、「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」というあのフラグについて。本来は「作者=神」が「感動を作るために、持ち上げてから落とす」という「原因:感動させたいという気持ち、結果:持ち上げて落とす」な状況に対し、「キャラクター=その世界の人間」から見れば「原因:持ち上げる、結果:落とされる」という感じで因果の順序が云々。
というのを思いついたけど、思ってたより順序は関係なさそうだな。


・しかし、俺定義における「コンテキスト」と「系」ってどう違うんだ。「コンテキスト」はだいぶ拡大解釈してるっぽいし、「系」は固まってはいるけど説明が困難。「違う」ということはわかるが、「どう違うか」が説明できない。