未分類の雑記

・睡眠時間6時間半くらい。えらく寝つきが悪かった。日曜の夜はたいがいこんな感じではあるけども。眠いし、だるいし、つらい。


・しかし、このプロジェクトはいつ終わるんだろう。2ヶ月も伸ばすようなことはないと思うけど、2ヶ月伸びるなら辞めるタイミングとしてはちょうど良い(契約期間が切れるので)。しかし、これだと、「あと1ヶ月だから今辞めるのもなぁ」というのもまた選択ミスだったのか。「あと1ヶ月で終わるわけないじゃん」を前提にすべきだったのか。

  • 「面白そう」と「面白い」の違いを考えるにあたり、別の「〜そう」と「〜い」の違いを考えてみる
    • 「美味しそう」と「美味しい」
      • 「視覚、嗅覚」と「味覚(+視覚、嗅覚)」
    • 「嬉しそう」と「嬉しい」
      • 「嬉しそう」は他人に対してしか使わない気がする。
        • 「〜そう」は、他人がやっている行為に対しても発生する。
          • むしろ、他人がやっているのを見て判断するのが普通か?
    • 「難しそう」と「難しい」
      • 「視覚、聴覚」と「???」
      • 他人が易々とやっていても「難しそう」と感じる場合はある
        • 単純に、他人が簡単にやっているから自分も簡単にできる、というパターンではない
        • となると、「面白いよ」と言っても「面白そう」となるわけではない。
          • 「自分にできること」だけで構成されていれば「難しくなさそう」と考えられる?
          • ならば、「自分が面白いと思える要素」だけで構成されていれば「面白そう」と考えられる?


・「面白そう」というのは、実作業を伴わないシミュレーションからの導出で、「面白い」というのは、実作業による導出か。
ゲームの設計で言えば、頭の中だけで考えた部類が「面白そう」であり、実際にコントローラを動かすところまで落とし込んで初めて「面白い」というのとも似ている。となると、「面白そうだけれど実現不可能」というのもある。いや、それはフツーだしどうでもいいとして、作ってるうちに「面白そう」ではなくなりつつ「面白い」ものになることもありうるとことか。
脳内シミュレーションが「面白そう」というものなのであれば、「こういうのができたらいいよね」という妄想垂れ流し系の文章を観察すれば、何をもって「面白そう」と考えるかが推測できる気もする。あるいは、いわゆる「グルメレポーター」であれば「美味しそう」の伝え方から何か考えられるかなぁと思うが、ここらへんは最近はネタ化してる気がしないでもない。最近というか2〜3年前だけど。今はどうか知らない。


・「面白そう(〜そう)」と「面白い(〜い)」の間にはどの程度の差があるのだろう。「実感の差」で表しきれているだろうか。普通に使ってるけど「実感」とはなんだろう。
「面白い(〜い)」ということは本当に重要なんだろうか。「めちゃくちゃ面白そう(〜そう)」だけでなんとかなったりしないものか。しかし、「すげー美味しそう」なのに食べれないというのはなかなかの地獄。やはり「面白い(〜い)」は重要か。


・調べ物をしていて、久々にRadium Software Developmentを読み返す。で、これとかこれとか読んで、ようやくその内容を実感を持って理解できるようになった。嬉しくはないな。


・コーディングしてたら、ある程度体調は持ち直した。それでも多少ふらつくけども。やはり精神的なものの方が大きいんだろう。


・「レベルを買う」のアレは、単純に「自分が正しいと思っていたものが否定される」あたりの結論で妥協しちゃって良いか、とかそんな感じ。おそらく昔考えた「突撃」あたりをシミュレートすれば近づけるんだけど、だいぶ遠くに来てしまった。だんだん「実感」が伴わなくなる。


・だんだん解説技法まわりの考えが曖昧になってきたというか。「一意な解釈など存在し得ない」というのが強い前提条件になってしまって、そんな状況下でどのようにして解釈の一意性を保つべきかを考えるのがしんどい。たぶん、「どの層に向けて解説するか」というターゲティングが重要になるんだろうけど。
そんなことを考えながら、CSS的なアプローチで見た目を改善してみたメールを送るのだった。CSSというかHTMLというかTeXというか。「タイトル」「小項目」とかの概念を追加してみたのだよ。


・自分の「短期思考は得意だけど長期思考は不得手」という特徴から、「それはつまり、深さ優先探索は得意だけど、幅優先探索は不得手、ということなんだろうか」とか考える。