最近のエントリ見てて、自分の「結果至上主義」の現状を省みたくなったので、メモ。雑記。流れはなく断片のみ。
・基本は「報われない努力は無駄」。
・いくらポテンシャルがあろうが、それが発揮されなければないのと同じ。
・しかし、「報われなくとも努力する人間」を評価する人間もまた存在し、そういう人が居る限り、「報われない努力」は「無価値」とは呼べない。
・そもそも「無価値」と呼べるようなものって何さ。そこらに落ちてるゴミだって、誰かにとっては集める対象かもしれないし、他の動物にとってはエサになったり巣の材料になったりしうる。
結局は「誰に評価してもらいたいか」の違い?
・「〜を導入すれば〜が良くなる」というのに対して、実際にそれを導入して「〜」が良くならなければ、それはそもそも「正しく」ない。そもそも「目標」が達せられていない。
・「目標に寄与しない努力は無駄」と言えそうな気もしつつ、しかし「夢を持っていたからホゲホゲを耐えしのげた」という風に副次的な効果が得られる可能性もあり、それは「目標」には寄与していないが動力としては重要だったりする。
・結局、「役に立たないこと」をするのも、されるのも、しているのを見るのも嫌い、あたり。「役に立たない」の定義に封じ込めてしまっただけな気もする。定義を考えてみると、「コスト」と「パフォーマンス」の釣り合いが(悪い方向で)取れてないのが嫌いなんだろう。
・まとめると、「コストパフォーマンス(費用対効果)が悪いのが嫌い」あたり。「結果」とはつまり「パフォーマンス(効果)」のことだったのか。
・しかし、流れがないのに「まとめると」はないな。でも、それをつけると「最後の文」って気はするな。
- 「コストパフォーマンス」で考えるとかなりまとまる。
- 「無駄な努力」が嫌いなのは、コストに対してパフォーマンスが見合わないから。
- 「夢を持つ」ことで得られる動力は、良いパフォーマンスが得られる。
- 「何もしないで何かを得ようとする」のが嫌いなのは、コストも払わずにパフォーマンスだけ得ようとするから。
- ここらへん、コストパフォーマンスの最適化とは離れる感じ。
- 「努力してるのに」とかいうのが嫌いなのは、そのコストはパフォーマンスに結びつかないコストだから(コストパフォーマンスが悪いから)。
・となると、「結果至上主義」改め「コストパフォーマンス主義」になるんだろうか。どのレイヤのパフォーマンスを考えるかでまたごちゃごちゃあるけど。まぁ、でもそこら辺に意識が向くようになるだけでもマシか。じゃあそれで。