未分類の雑記

・睡眠時間7時間くらい。また、別の思考で眠れなかったが、今回はちょっと考えておきたいことだったので仕方がないか。


・最近の自分を見ていて、ますます残念になっただけで本当はマシになどなってはいないのではなかろうか、とか考える。
とりあえず、マシになった例とかを挙げておくか。「観察」の話。
もともとは「観察」を行わない人間だった。知識とはすでに存在するものであり、それを吸収していく、というスタンス。そのスタンスに関する自覚はなかったと思うが、行動パターンから考えるにそういうスタンスだったはずだ。例えば、初期の「methodシリーズ」で行われていることは「観察(今さっき決めた自分の定義における"観察")」ではない。アレは、対象「に」自分の価値観を当てはめれう行為であり、自分定義における観察とは対象「から」特定の価値観を推測する行為である。簡単に言うと、「価値観の押し付け」と「価値観の理解」の違い。そこは以前よりマシになったかなと思っている。


・「自分の変化」のタイミングについても考えていた。結果を導き出した後に、以前考えたことがあったというのを思い出したが、まぁそれはそれ。
何かしらの「言葉」およびその「解釈」によって大きく変わることもあるが、今回のそれは小さな学習の積み重ね。天秤で言えば、いきなり重いものを乗せて傾きが変わったのではなく、小さいものを積み重ねていってある段階で傾きが変わった。傾きが変わった瞬間の重りが重要だったわけではなく、あくまでその積み重ねが重要だった。重りは学習の重み付け。「別の価値観」に対する長期間の学習の結果。
そして、その変化は「リアルでの学習」の比重が極めて重い。「ネットでの学習」の比重が低いのは、おそらく「他者との関わり」の問題。リアルではいやおうなく他人と関わらざるを得ないが、ネットならこの雑記のように完全に閉じこもることができる。「他者とのかかわりのない世界=学習にとって重要でない世界」という認識のために、リアルでの学習が優先されるのではないか、と。ここらへんは、他者を観察して比較しないと一般化するのはアレだが。あと、情報の伝達パターンとして、ネットでは基本的に文字ベース、視覚ベースという限定されたパターンでしか学習が行えないとかなんとか。
だんだん書くのがだるくなってきた。


・ごく普通に「いやがおうにも」だと思っていたが、「いやがうえにも」か「いやがおうでも」らしい。そして、文脈上「正しい日本語」は「いやがおうでも」でした。


・もうちょっと楽しいことを書きたいなぁ。精神状態は悪くはないんだが、状況の方がちょっと悪い。