雑記:未分類

・睡眠時間8時間くらい。しかし、暑くて起きたり、水分補給で起きたり、7時ごろに普通に起きたりして、そんなに眠った気はしない。


・ネットのあれの連絡が来ないなー。こっちは切り捨てて、名称忘れたけどあれに切り替えるべきか。実家に帰ってもネットにつなげるようなあれ。


・コンロがIHだったので忘れてたけど、風呂に入るのは依然としてガスが要るのであった。連絡しなければ、と思ったらサーバエラーで止まる。ムリか。


・状態が変化してきて、多少は色々とできるようになってきたものの、今度はびっくりするくらい入力を処理できない。極端だなぁ。まだ余裕が足りないのか。


・郵便の転送はデビットカードでは「インターネットでの申し込み」はムリなんだな。昼休みにでも近くの郵便局に行かねば。


・あぁなるほど。「最適化(高速化)」を「欠点(低速)の克服」と捉えてるのも、ノれない一因なのか。自分は「長所の強化」の方に過剰に傾いてるからな。


・げげー。会社の近くの郵便局に転居届の葉書は置いてなかったぜ!めんどくせー!単純に30分の時間を失っただけかよ!
帰りの時間はもう郵便局は開いてないし、朝早くに横浜の郵便局に行くしかないのかー。めんどくせー。どれだけオレの時間が奪われるんだよ。だから引っ越しとかイヤなんだよ。荷物まとめるだけで丸5日は奪われたのに、まだ時間がかかるのかよめんどくせー。こういうのこそ一括でやるサービスが欲しいんだけど、本人確認とか要るんだよなー。でも代理でも行けた気はするし、でも「本人との関係」とかは身内じゃないとダメなのかとか思うし、難しいのか。


・不動産の解約から一ヶ月までは普通に家賃を引かれるようなので、案外今月いっぱいは金銭的にしんどいまま。
てか、もう10月なんだよな。帰郷代も要るし、案外余裕はないのかもしれない。食器洗浄器など夢のまた夢だな。念のため自転車は廃棄しないで良かったぜ。


・段ボールが死ぬほど余るはずなので、これでとりあえずの家具を作ってみるか。できるだけ早めに必要なのは「物干し竿を支える台」なのだ。「棚」とかはすでにあるし。ガムテと合わせればなんとかなるかなー。その前に段ボールの中身を空にしないといけないのだけど。
→ちょっと思考してみたけど、「段ボールで塔を作る」のは難しいな。高さを稼いだ上で、しっかりした強度を保つのが難しい。


・最適化中。
「Alignmentを考慮すれば早くできる」ってのはPCでも一般的っぽいし、以前も書いた。
「Alignmentされたクラスをstd::vectorに入れたらコンパイルでこけたような気がするなー」と思って調べたらhttp://d.hatena.ne.jp/yotto-k/20071223の米欄で色々やってた。
Vectorの可変長配列」って意外と使いたいところがあったりするので、できるようにしておきたいなぁ。他人から送りつけられた位置情報を一時的に保管とかしておきたいのだ。可変長じゃない方がサイズ制限の意識が出てそれはそれで悪くないんだけど、やはり使い勝手が悪い。単に「Alignment非対応のVector」を別で作れば良いのかもしれないが。てか、以前はそんな感じの「独自Vector」を作ってたなそういえば。
そして「Vector」と「std::vector」が字面的に差がわかりにくいな。「Vector」は「ベクトル」であり「3〜4次元座標」みたいなもんで、「std::vector」は「可変長配列」だ。
「インターフェース」を用意したいけど、継承してから詳細を実装する形式だと、たしか仮想関数テーブル分の容量を余分に食うんだよな。となると、やはりプラットフォームごとにプリコンパイルの段階で分岐させて、別々の実装に飛ばした方が良いのか。
そういえば、コンストラクタを呼びつつそれをreturnすれば、なんかコンパイラが最適化してくれるんじゃなかったっけ。
む。なんか機械作業的な内容に収束してしまった。まぁ自分で最適化するのではなく、それの移植みたいなもんだからな。しばらくは退屈な作業になる。


・この感覚は「物理的な傷」と対応付けて考えるから相手を非難するのかなぁ。
「相手によって傷が付く」→「相手が傷を付けるようなものを持っているのが悪い」という流れ。
上の流れを「物理的な傷」と捉えるとまぁまぁ妥当に思えるように、これを「精神的な傷」に適用すると妥当に思える、みたいな感じ?
しかし、ナイフが皮膚に接触すればだいたい切れるけど、言語で相手を傷つけられるかは相手にかなり依存するんだよなぁ。
あるいは「傷が付くなら誰かが悪いはずだ」という思考の問題か。「誰も悪いことをしなければ誰も傷つかないはずだ」的な。あるいは「皆が正しければ誰も傷つかないはずだ」的な。


・状態が安定しない。全般的に余裕が足りない。
真面目なことを考えるには向かない。余裕が足りないので自分の視野が狭すぎる。ここ最近の思考は、そこらへんのバイアスを考慮する必要がある。
仕事はまずまず。でかいことでなければこなせる。全体が見えなくてもなんとかなる。むしろ全体を見てしまうと虚しくなるかもしれんし。
趣味もまずまず。ネタは出せるが、すぐに作れるものはあまり出てこない。


・「幸福の総和」みたいな概念だけじゃなくて、「不幸の総和」みたいな概念も見かけるな。「この世の不幸も常に一定量存在し、誰かが不幸を回避したなら代わりに誰かが不幸になっている」みたいな。この前のエントリもそうだし、PSYRENでも見かけた。あらゆることを「モノ:コピー不可能なもの」とみなせば、そういう思考になるのかな。これからは「情報:コピー可能なもの」が台頭してくるはずなので、そこらへんの認識も変化したりするのかな。「幸福」とは「解釈」であり「情報」であり「コピーやデリートが可能なもの」という認識がちゃんと広まるんだろうか。あるいは逆に反動でモノに固執するだろうか。
いや、「幸福=解釈」と自分が思ってるだけで、「幸福=モノの所有」みたいな定義を他人がしているのであれば、あながち間違っても、、、いや間違ってるんだけど、その人の中では無矛盾だな。一般論にならないだけで、その人の特殊論としては矛盾なく成立する。しかし、「幸福=モノ」って価値観は古いなー。いや、確かに観察対象の年齢はわりと高いっぽいけども。「車を持つこと」とか「家を持つこと」とか「家族を持つこと」とかが「幸福」なのかな。「実体のないものに価値など見出せない」みたいな。