雑記:未分類

・睡眠時間6時間半くらい。目覚めは良いが、久々に寝付くのがかなり遅れたので不安。あと、左肩の関節まわりが痛い。


・僕の中ではまだ11月です。


・でも冬休みが早く来て欲しいから、12月でも良いです。


・天国も国である以上はパスポートが必要なのだろう。つまり、外国に行くのにパスポートが不要な世の中になったら、誰でも天国へいけるということなのだろう。でなければ「国」などとは名乗るまい。


・なんとなくわかった。「衆愚」みたいな表現が嫌いなのは、相対的にであれ暗黙にであれ「自分は賢い」という主張に見えてアイタタタと感じるのだ。「間違った結果になる→じゃあ実行者がバカなんだ」という非論理性もアイタタタな感じだ。ただの現象にわざわざ「愚」をつけないといけないあたりをとても残念に感じているのだろう。どうせなら「働かないアリが常に一定の割合存在する」というあれにも「愚」を使って何か表現したら良いんじゃなかろうか。結果さえ良ければ「愚」はつけないのかなぁ。


・そういえば、「賢い」というのも相対的だったりするのかなぁ。なんとなくベースに「知識・知恵がある」=「賢い」という考えがあるので、その有無だけ考えればそれは絶対的と言えるんだけど、「どこかの分野で正しいことは、どこかの分野では間違ってる」ということはわりとある。「航空会社の接客」と「病院の接客」であったりとか、「厳密に間違いなくする」VS「適当にして適宜対応する」だったりとか。まぁ、それはそれでコンテキストを固定すればいけるか。固定することの妥当性はさておき。
えーと、だから、「こういう状況ではこうすれば良い」だけではダメで、「こういう分野の、こういう状況ではこうすれば良い」まで含めた「分野を見る力」的なものまでがあるなら、まぁ「賢い」んじゃねーの?という感じか。


・うーん。RTで返事した方が色々と伝播するので良さそうなんだけど、確かにプライベートなことは普通のReplyで済ませてしまいたいなー。少なくとも、RTしない気持ちはわかった。観察者としてはRTして欲しいけど、RTされる側のことを考えるとReplyかなーとなる、ということだな。相手の了承があれば、ばんばんRTできる。


・ミスを積み重ねれば、それがデータベースとなり、だんだんと適切な対応が取れるようになる。わかってはいるがしんどい。


TwitterのReplyスパムは今までのところ一回来ただけですた。更新頻度はそこまで低くないので、フォロワー数とかフォロイー数とかにも影響されるのかな。


・「科学」の定義も個人次第、とかにしちゃうと、もはやこの単語の存在理由はなくなるな。じゃあ、その定義を担保するものはなんだろう。辞書以外で。
とりあえずはそれが「研究に使う」というあたりが妥当かなぁ。「直線も定義次第ですよ」とかされると困るわけで、「〜というものを直線と呼びます」という前提を共有するように、「〜という条件を満たすものを科学と呼びます」みたいな。
一般化すると、「特定の分野で"議論"するために統一すべき概念であり、すでにある程度の品質を保てる程度にはコンセンサスが取れている」
「コンセンサス」とか言いたくねーな。もっとかっこわるい言葉が欲しい。「納得」「合意」、うん「合意」かな。
それが「統一すべき基礎的な概念」であり、「ある程度の品質を生み出す程度には合意が取れている」、、、、
後半の文の意味が伝わりにくい。「一部の人間は懐疑的かもしれないし、その懐疑は正しいかもしれないけど、それはそれとしてこの前提なら色々なことがシンプルにできる」みたいなことを言いたいわけだよ。例えば「科学=検証可能なもの」とした時に、「2度と同じものが再現できない場合、それは科学とは言えないのか」みたいな疑問は残りつつ、それはそれとして「検証可能だから、妥当性がある程度担保される」だとか「科学かどうかの判定がしやすい」とかの価値は生成されるわけだよ。
うん、めんどくさくなってきた。
てけとーにまとめると、「ある程度は受け入れやすくて」「他の選択肢よりも妥当」であれば、「一般定義」としても良い、かなぁ。
とかかなぁ。「他の選択肢よりも妥当」については上に全然書いてないけど。「一般定義」というよりは「その分野での定義」の方かなぁ。


・「納得力」なんて初めて聞いたな。ちゃんと定義されてんだろうか。本になってるようなら「あー、あの本での定義ね」みたいに思えるんだけど。


・「バカ(ばりょく)」


・あぁ、「解く」のが好きなのかもしれない。「解析」も「解釈」も「予測」も「推理」も。
解析:構造を解き明かす
解釈:コンテキストを与えて導出を行う
予測:数列のように解く
推理:論理式を解く
場合によっては「反応」とかも。「学習の内発的動機付け」としては「解く」ってのはそりゃ重要だから「内部報酬」が出てもおかしくはないわなー、みたいな。そういう意味では「好きなものは好き(だからしょうがない)」と言ってるだけで、特に意味はないのかもしれない。「数学嫌い」という感覚がわからないので、「解く喜びは普遍的か」というのがわからない。


ゼルダの謎解きについて考えていて、少しだけ「面白いゲームにはフラクタルがある」の意味がわかる。なんか以前に書いた気がしないでもない。
要は、

  • このブロックをあの台座にはめる
    • そのための経路を探す
      • どうすればその経路が通れるかを考える
        • 敵が居るけど倒すべきか無視すべきか

という感じで、「解くべき問題」が入れ子になってたりする、あたりは理解した。
この例だと戦略→戦術のレイヤーに似てるな。


Twitterの今の観察範囲だと、Botしかクリスマス帽をかぶっていないのであった。


・何かを「偽善」と呼ぶということは、「本当の善」を想定していると見て良いのか?となると、それは「絶対的な価値」を信じてると見て良いのか?
あるいは「相対的な価値」ではあるけど、「自分の善とは違うから」とか「君の善は本当は違うはずだ」とか「もっとも多く普及しているであろう善とは違うから」とか「自分のクラスタでの善とは違うから」とかの理由で「偽善」と呼ぶことがあるのかな。