未分類の雑記

・睡眠時間7時間半くらい。昨日設定したとおり、「0時半〜1時ごろに寝て、8時半に起きる」を実行。目覚めは良いが、やはり起き上がるのはしんどい。


・昨日は「さて帰るか」と立ち上がった段階から「頭痛」と「足のがくつき」に襲われる。頭の調子は良いのに、すこぶる体調が悪い感じ。どうも食料が足りなかったっぽい。今朝も通勤の途中の段階で多少ふらつきだしたし。


・あと一ヶ月の辛抱ではあるが、一ヶ月もあれば色々できる。「系」の方も、「中身」はある程度できたので、それを覆う部分と、さらにその外側さえ作れば形になる。おそらく、専念すれば一ヶ月もかからない。そう考えると、やはり一ヶ月とはいえ惜しいが、自分のことだからこのままの状態でいくだろう。問題なのは、「一ヶ月の価値」が思ったより大きいことに気付いてしまい、それによってブレーキがかかってしまっていること。このブレーキは「下らないタイプのブレーキ」でもないので放棄することもできない。


・解消されるべきは「不安感」の方なのかな、とか。例えばホラー映画を見ている人に「これ映画だから。実害ないから。」と言っても、不安感を感じる人は感じる。しかし、だからといってホラー映画からコメディ映画に変えるのが妥当な対応なのか。別にGoogle Mapsのアレはホラーを意図したものではないから、この例えからの派生は無理があるか。「ホラーを意図していないけれどホラーに感じられるもの」は。「包丁」とか?ゲーム脳の人に対してなら「ゲーム」で良いのだろうけど。


・言ってて(というか書いてて)気付いたが、「ゲーム脳の人」という単語を自分は「ゲーム脳とか言ってる人」という意味で使っているが、「ゲーム脳とか言ってる人」が使う「ゲーム脳」というのは「ゲーム脳とか言ってる人」のことではなく「ゲーム中毒者」のことなんだよなぁとか。


・「DSがこのまま普及していけば、ゲーム脳とか言ってる人に賛同する人は少なくなるだろう」と思っていたし、今でもわりとそう思っているが、それとは別に「暴力的なゲームは作るべきでない」というのはDSが普及しても収まりそうにはないなぁとか。


・ついでだし、現状での自分の「暴力ゲーム」への考え方もメモ。
基本的に、その手のゲームはやらないので、規制されても特に害はない。そういうゲームを作る気もないし。だからといって規制に賛成するわけでもない。賛成でも否定でもない、どっちつかずの状態。
で、「暴力ゲームのリアルへの影響」それ自体は存在すると思っている。「アクション映画を見た後の興奮状態」みたいな状態にはなると思うが、「アクション映画を見たので暴力を振るってみた」というのはアクション映画の否定にはならないように、「暴力ゲームをやったので暴力を振るってみた」というのは暴力ゲームの否定にはならないと考えている。「アクション映画を見た後の興奮状態」をなんらかの運動で発散させることは十分にありえるし、その「運動」の選択として「暴力」が取られることもありえる。ただ、それは「暴力を選択したこと」が問題なのであって、「興奮状態を誘発したこと」自体に問題があるとは思えない。


・自覚できるレベルでモチベが下がりだしている。この状態を見てると、「ブレーキ」というよりは「逆噴射」の方が近いのかもしれない。0とマイナスの間をふらふらしている。
この状態で居ると、プラスの時とマイナスの時の世界の見え方の違いが確認できて面白い(しんどいけど)。マイナスの時は、「今まで学習した事象」こそが世界の全て。今までの学習がこれからも正しいと仮定されている。住んでいたムラをそのまま大きくしたものが世界なのだと解釈している。プラスの時は「最近の学習」をベースに、「近くにある別の世界」まで想定していて、自分もそこに移動できる(=ムラを抜け出せる)と考えている。さらにぼんやりと、「自分では一生知覚できないであろう世界」のことも想定している。ここらへんを自覚・意識できればなんとかマイナスに持っていかれずに済みそう。


・む。また飯を食うのを忘れている。


・そもそも「俺、死ねば良いのに」というのは「この世界に居たくない」というところから始まってるわけで、マイナスの状態だと「世界=今まで知覚したもの」である以上「別の世界」というのが「死」以外に想定できないために出てくる結論なのだ。ならば、「ここではないどこか」というのが本当に存在するのだと認識さえ出来ていれば「俺、死ねば良いのに」という結論は回避できる。


・大規模開発が苦手なんじゃなくて、直線的な開発が苦手なのかもしれない。螺旋型の開発の方が好きだ。
しかし、自分のパートだけ見れば、螺旋型と言えなくもない(そのために、「あちこちつまみ食い」とか嫌味を言われるわけだし)。となると、問題なのはやはり別のところか(ていうか、「なんで"つまみ食い"をせざるをえないのか」を理解してない時点で、やはりアノヒトに期待すべきではなかったのかな。逃げるみたいで嫌だったけど、外れるタイミングとしてはベストだったのかもしれない)。


・「tier」という単語を知る。「phase」みたいな感じか?便利そうではあるけど「timer」と区別がつけにくいので、たぶん使わない。


・この前の「想像力」の話の派生で、「本当に自分は"そのまま"受け取っているのか」という疑問について考え始める。
まず、「与えられた情報をそのまま受け取る」というのはありえない。「与えられた情報」とは「光:視覚情報」や「音:聴覚情報」であり、「受け取る」とはそれらをコンバートして「電気?:脳内情報」に変換することだ。変換する以上、「そのまま」というのはありえない。さらに、「細かいノイズ」まで保持してるわけはなく、「何を持ってノイズとするか=何を受け取らないか」という方針が存在するはずで、「そのまま受け取っていると思っている」ということは「どんなフィルタリングを行っているかに無頓着」なんじゃないか、とか。


・昨日は食欲あったのに、今日はない。


・やはり他人に合わせようとするのがいけないのか。
→いや、おそらく「他人に合わせるコスト」と「合わせた際のパフォーマンス」の問題。「コスト」はわかるが、「パフォーマンス」を推定できないのが問題。
→やはり、推定できるように色々なことを知るべきなのか。
→そもそも「他人に合わせる」のは「手段」であって「目的」ではない。「目的」を決めて、そのための手段として必要そうなら考える、という手順が妥当。
とかツッコミを受ける。いや、入れる側か?わからん。
今回のやりとりは自問自答っぽいかな。


・自問自答っぽく見せるために、片方は「天使」、もう片方は「悪魔」という名称にしといたらどうだろう、と考えたが、どちらが「天使」かは解釈に依存する、と言うやつが入ってきて、「そんなことよりワシの踊りをみてくだされ〜」というやつが入ってくる。最後のはネタだ。後から加えたんだ。ネタに決まってるじゃないか。俺は何も見なかったぞ。