今日の雑記

・睡眠時間7時間くらい?今回は珍しく寝る際に断続的な起床が発生し、1時過ぎくらいに寝始めたと思うのだが、2時や3時に起床した。
あと、晩飯に唐揚げを追加してみたのだが、まだ空腹になるな。これ以上追加してもカロリー的にアレなので、腹持ちする別の何かが必要なのかも。


・今朝またちょっとあって精神状態があまり良くない。対処法や自己制御などあれこれ考えたし、ゲームをして気を紛らわそうとしたがまだダメだ。たぶん処理能力自体は普通なので、普通に仕事して忘れるほかないかな。


・そしてその過程で確認したが、いまの自分もまた「結論ありきのクズ野郎」になってるな。
単純に精神状態の影響だと思いたいが、「自分は悪くない」という結論があってそのための理由を探している状態を確認した。以前にも書いたと思うが、自分はそういう人間が大嫌いだ。そのうえ、これは昔の自分が「こんな大人にだけは絶対になりたくない」と思っていた人物像であり、「こんな大人になるくらいならちゃんと自殺して欲しい」と思っていた状況だ。
だから改善できなければ死なねばならぬ。それは昔の自分との約束だ。そしてまだ死ぬわけにはいかない以上、どうにかして成長せねばならぬ。


・重要なのはやはり「自分を律する」ことなのだろうなぁ。かつての自分はそれがある程度はできていた。しかしそれ故に息苦しかった。今はちょうどその真逆だ。
息苦しい状態に戻りたいわけはない。しかし約束である以上、クズ野郎でいるわけにもいかない。どこかでバランスをとらねばならない。


・長期タスクの残りはそんなになさそう。とりあえず今日の分は捻出したので、今日はそれをやったらあとは休んでいたい。


・むむむ。昼休み前に終わってしまった。さすがに早すぎる。あとでまた別のところの作業を洗い出そう。ひとまず休む。


・ベルトが半壊していることに気付いた。100均のではこんなもんか。1年くらいは使ってきたことになるので、次はちゃんとしたものを買うかな。


・Gが嫌いな人がGにエサをやって繁殖させるのを嫌うように。転売屋からモノを買ってさらに転売を加速させる人間を嫌うのもまた道理。


・精神状態だけが悪い。つまり精神だけどうにかできれば現状からの回復は図れる。
というわけで精神状態をどうにかしたいのだが、あれこれ考えた結果、人格を再構築するような感じを試してみようかと思う。いまの状態は視野の狭さなどから「価値観の汚染&固定」がされているのが問題なので、この価値観自体を置き換えるような変更をする必要があるのではないかという感じ。ダメなら他のを試す。
ということで、「そもそも自分の価値観ってどんなのがあったっけ」と思い返すのが難しかったため、雑記を久々に読み返すことにした。
で、一覧のところをクリックしたのだが、最初の更新は2006年なのな。もう7年も前の話か。当初は雑記ではなかったので、雑記化してからだともう少し減るはずだが。
しかし雑記化するタイミングがギリギリすぎるというか。自分が壊れることになったプロジェクトあたりからの雑記なので、それ以前の価値観を汲み取るのが難しい。今よりも皮肉屋の側面が強いのは確認できたが、そこはむしろ成長して解決してる部分なので、もっと他の側面が知りたい。
ダメだなー。昔の情報から再構築できないというか、再構築できるものは大した価値のないものだったというか。皮肉屋なのは良く言えば「改善を期待している状態」となるが、その部分を取り込んでも仕方がないと思っている。


・ていうか、あの頃の雑記を時系列で読むのが怖い。このさき自分が壊れていくのだという自覚のないあの頃の自分が徐々にソコへと向かっていくのを見ているのが怖い。途中で引き返してしまった。どうせその後は「不信」が溜まり過ぎた状態だから参考にならないし。


・今日のぶんのタスクは完了した。今週までは作業はありそうかな。ともあれ今日はここまで。あとは休む。


・自分はどの程度「自分の未熟」を理解しているのだろうな。もっと言えば、どの程度理解し、どの程度受け入れているのか。ある程度は理解しているつもりだが、受け入れられてるかはまた別な感じがしている。


・昔の自分の価値観を再構築するのは、その時の雑記じゃなくてその時に読んだものとかの傾向の方が大きいのかもな。あのころ信じていたものを無邪気にまた信じることはもうできないが、それでも再び選ぶことはできる。少しは気分が持ち直した。


・そういえばそこそこ前にも「死なねばならぬ」と書いてた気がする。そして今も「死なねばならぬ」と思っているのなら、やはり死なねばならぬのだろうか。
今はどうしてもまだ死ねない以上、変わらねばならぬ。変えねばならぬ。なんとか体調は中の下までは戻ってるから今ならなんとかできるはずだ。


・持ち直したので、一旦雑多に書いてからまとめるか。まずは雑多に。
「信じていたもの」を思い出した。Googleはてなを信じていた頃。フリーや変革を信じていた頃。Googleはいまだに信じているが、それ以外は変容した。そもそも「信じている」という状態に意味を見出さなくなった。信じてても何も変わらないが、行動すれば何かは変わる。その反動で行動至上主義に来すぎたとも言える。これをもう少し戻さないといけない。
未来のこと、あるいは子供達のことを考える優先度が下がりすぎてる。別に未来の為に滅私奉公すべきとは思わないが、約束がある以上は「昔の自分が見て恥ずかしくない状態」でなくてはいけない。昔の自分とはつまり、目の前にいるその子供達のことだし、自分が死んだあとにも産まれてくる子供達のことだ。彼らにクズだと思われたなら自分は死なねばならないし、死ぬわけにはいかないのであれば常にクズを回避し続けなければならない。


・まとめる。
「信念」から「行動至上主義」にふれすぎた。もう少し「信念」を取り戻す。自分の短期的な未来だけでなく、もっと包括的である程度長期的な未来を描く。
昔の自分との約束を果たすため=死なないためには「いまの子供達からクズに見られない状態」を常に維持する必要がある。


・書いてて胡散臭いが仕方ない。まだ自殺するわけにはいかない。気付いてしまった以上は対処しなければいけない。


・しかし昔の自分は正義過剰だったので、そこらへんの判断はアレだなぁ。まぁそういうタイプのは除くことにしよう。


・帰宅。帰路中の制御はまぁ許容範囲内。家での精神状態もそれほど悪くはない。このまま寝れればOKだが。