・前日。
雨につき散歩なし。リングフィットがまたできてないな。今日はサーモンランがあったのもあるが。
昼飯:ミックスナッツ少々+プロテイン+バナナ×1。16時間の空腹後にこれだけ食って腹が満たされるって不思議だな。もうちょっと分量は多くても良い気がするが、プチ断食後の最初の食事なので糖質の摂取量は少し抑えたいからなぁ。まぁひとまず現状維持で様子を見ようか。
間食:ヨーグルト+オリゴ糖25gくらい。オリゴ糖は一週間程度でわりと慣れたな。依然として炭酸ガスは発生しているっぽいが、離席を必要とするレベルではない感じ?まぁ1回くらい離席しておくと安定はするがその程度。
夕飯:マンナン米+炙り焼きチキン+カロリーメイト。夕飯のバリエーションがなー。揚げ物とかを避けるとだいぶ困る感じになる。まぁ変に偏るくらいならそういうのを食っても良いとは思うんだけど。
晩飯:マンナン米+サバの味噌煮+ティラミス1/3+りんご×1。ティラミスだけだとなんか後味が微妙だったな。しかしボリューム的には良い感じだった。
ドッグブレス:300回。


・睡眠時間6~8時間くらい。
概ねいつも通りだが、股が汗で濡れてる感じはそんなになかったかな。セパレートに比べるとちょっと半端な感じだったか。もうちょっと穴を多くしつつ穴あきズボンを使って調整してみるかなぁ。もうちょい調整に時間がかかりそう。


・今朝はまた10分くらい早めに出発してちゃんとまぶたに日光を当ててみた。
今朝は性欲処理があったので10分早い出発が限度だったが、それさえなければ20分は早く出られそうかな。
で、今回は15分ほどまぶたに日光を当ててみたが、途中で吐き気よりの気持ち悪さが出てきた。わりと暑かったし熱中症寄りの気持ち悪さだったのでそっち系の問題が発生したか。今回はたまたま冷水を持っていたので多少は誤魔化せたが、この感じだと夏場はキツそうだな。まずは冬場にできるだけ慣れよう。


・仕事。
今朝の時点でバグチケが3つ。うち1つはすぐに終わりそうだけど、残り2つは重そうなので軽いの+重いのを昼前にやって昼後に残りをやって今日は終わりかな。


アダルトチルドレン
今朝はあまり昔の自分が居ない感じだったな。慣れてしまったせいなのか、あるいは別の要因か。
ともあれ次の土日にやる事は決まった。「未来(今)の自分」を知った状態で改めて子供時代を過ごす妄想をしよう。たぶんそれで乗り切れる思い出がいくつかあるはず。


・仕事。
他の人のフォロー作業が入ってきたし重そうなやつの対処もわりとすぐに終わったのでフォロー作業までは今日中に片付けたいかなぁ。


・休日のメシ。
あれこれ考えたが、結構スロージューサーで置き換えられる部分は多いな。
全部置き換えるなら
昼飯:ナッツ→プロテイン→ジューサー。
間食:ジューサー。
夕飯:肉+ジューサー。
晩飯:何か+ジューサー。
という感じで1日4回もチャンスがある。
まぁ次の日曜はまたステーキの予定なのでちょっと変わるが。というかちゃんとステーキの日のメシも考えないとダメだったな。考えるか。


・ステーキの日のメシ。
昼飯にいきなりステーキってのもなんなので昼飯はいつも通りとしようか。
昼飯:ナッツ→プロテイン→ジューサー。
しかし夕飯まで待ってしまうとまた混み始めるし値段も高くなるしメニューも変わってしまうので、間食のタイミングでステーキにするかな。
昼飯2:B&Mのステーキ。
で、その後はしばらく何か食いたいって感じでもないんだよな。晩飯まで何も食わなくてもいける。ただ、甘味くらいは入るのでここでジューサーを入れるか。
間食:ジューサー。
あとはいつもの晩飯+ジューサーで済むかな。昼飯をがっつりいくから晩飯は軽く済ませたいところだが。
晩飯:何か+ジューサー。


アダルトチルドレン
残念な人を見かけた時の反応がまだ固まってないのだが、今の感じだと「赦す」の方向に進みそうだなぁ。スプリチュアルな単語で言えば「慈愛」とかそういうの。
このまま昔の自分を連れ歩けば精神状態は良くなっていくだろうと思うんだけど、それはつまり精神状態の大きな振れ幅を感じながら生きる事になると思う。で、その振れ幅を実感した時に「それよりも大きな振れ幅」を実感として想像できるようになり、その「大きな振れ幅の犠牲者」も同様に実感として想像できるようになるのだろうと思う。
自分は別に虐待とか受けずにこのザマだからな。自分よりヒドい目にあった人間など珍しくもなかろうし、改善する機会を得られないままだった人間も珍しくなかろう。
言わば「助けてもらえなかったどころかさらにヒドい目にあった昔の自分」が目の前に居るようなものだからな。こうして昔の自分を連れ歩いていると特にそう感じる。時間の垣根を越えるだけでなく、自他の垣根を越える事にもなるのかもしれない。
まぁともあれまずは自分を救ってからな感じも強く受けるので、少なくとも今月いっぱいは自分の事だけ考えようか。


・仕事。
なんか細かいのが色々と来たなぁ。今日はそろそろ疲れたので、しばらく休憩してからあと1個だけやって終わりとしようか。


・「フィクションの中のルールに反する行為に怒る」という旨のツイートが流れてきて、まとめも読んだけど腑に落ちるものがなかったのでちょっと考えてみるか。
まず、自分も「フィクションの中のルール違反が罰せられない事」に怒る事がある。ただ、具体例がちょっと思い出せないんだよなぁ。何かあった気がするんだけど。
別に「現実とフィクションの区別がついてない」わけじゃない。そうではなく「勧善懲悪に固執している」の方がまだ近い。それもまた正確ではないが。
それが例えば「そういう胸糞の悪さを表現している」とかであれば別に良いんだけど、「フィクションだから別に罰せられなくても良いよね」とか「現実でも罰せられない人とか居るしこっちの方がリアルだよね」とかだとたぶんイヤなんだよな。まぁ胸糞の表現自体はそもそも嫌いだが、その嫌いさはまた別の話な気がするし。
一つの観点としては「物語が完成してないように見える」ってのがある。ルールに反しても罰せられない状況を「物語の不備」として見ている可能性。この場合、どんな形であれ罰せられているというのが察せられればちゃんと物語としての不備がなくなるので問題なくなる。ルールに反した時点で怒ったりもするかもしれないが、罰せられる事によりちゃんと着地する。
そうだな。「感情が着地してない」んだ。「物語による感情操作が不完全」に見えるんだな。途中で怒ったりするのは別に良い。あまり好きではないが。しかしそういう風に感情を動かして受け手側に特定の体験をさせるのが物語の目的の1つではあろう。
そもそもこの流れで言えば「現実とフィクションの区別をつける」というのが「感情を動かさない事」に見えて逆に不自然になるよな。であればやはり「現実とフィクションの区別がつかない」という問題ではない。フィクションだと認識したうえで確かに情動が発生してそれを操作するのが物語であり、何の情動も発生しないのなら物語の存在価値が、、、ないは言い過ぎか。まぁそっちは本筋じゃないので別に良いや。
まとめると「物語側の情動設計のミス」か。もっと簡単に言えば「想定より感情が大きく動いてしまった」というだけの話ではある。


・まぁ上で終わりでも良いんだけど、じゃあ何故「想定よりも感情が大きく動くのか」「何故その事象に関しては個人差が大きいのか」というのが気になる。一応、自分でも物語を多少描きたいと思ってるからな。理解できそうなら理解しておきたい。
基本的には「価値観」、特に「倫理観」の問題ではあるかな。
自分の例が思い出せないのでまとめのやつから持ってくると問題になりそうなのは「交通違反」「不倫」「盗掘」「女を殴る」あたりか。
まぁ見てないのもあるのでなんだが、大きいのは「主人公側がやってる」って事かな。たぶんこれが敵側だったら「確かに敵だ」「やられたらチャラにしてやろう」くらいの気分にはなるが、主人公側だと罰を受けない可能性がわりとあるのが気になって尾を引きやすいか。
これだけなら「倫理観が違うやつが主人公だとアレ」とかになるが、時代背景を無視するか?となると微妙なところなんだよな。たとえば戦争ものを見て主人公が誰かを殺してもたぶん自分はそれを受け入れる。近代であろうと古代であろうとおそらく変わらない。そしてそれは他の人もだいたい同じじゃないかと思うがどうだろうな。まぁ他の人だとエミュレーションするしかないし例外はいつだってあるから一旦考慮外としようか。
で、ならば「時代背景に即していればOK」か?となるとたぶん違うんだよな。おそらく30年前の話であってもセクハラ・パワハラに対して自分は強い嫌悪感を抱くだろう。それが罰せられない情勢であるというのを理解してなお怒りの着地点を見いだせず悶々とするだろう。
結果だけ見るとだいぶおかしいよな。「人を殺すのがOK」で「セクハラ・パワハラがNG」とか意味がわからん。しかしほぼ確実に自分はそう判断する。それは何故か?
例えば「現代で人を殺す」だとちゃんと自分もNG判定を出す。
「自分の正義がどの程度一致するか」の問題か?あるいは「正義を盾にどの程度までなら許すのか」という話か?
あぁ、そうだな。「自分だったらどうするか」の話ではあるかもしれない。自分が戦争にぶちこまれたら人を殺すのを正当化するだろうけど、自分が過去にぶちこまれてもセクハラ・パワハラをする自分は許せない。
つまり「自分がその状況になった時の倫理観」との齟齬が大きいと強い忌避感が発生する、か。
そうだな。さっきの例を見返しても概ね間違っていないと思う。
であれば、「現実とフィクションの区別がついていない」というよりは「自分と他人の区別がついていない(別の価値観を尊重できていない?)」というのが近いか?
「倫理観」がちゃんとわからんとなんとも言えんなぁ。そして倫理観は以前に軽く考えて絶望的に難しそうだったので思考を諦めたやつだ。でもまぁあれから何年も経ってるから一応改めて考えてはみるかぁ。


・倫理観。
まずは思いつくところからパラパラと。
時代によって変わる。今はセクハラ・パワハラがちゃんと弾圧される世界になってきたし、同性愛とか性同一性障害とかもじきに多少は受け入れられる世界になっていくだろう。ここらへんは「空気」とも言えるな。人類の精神性は進歩しないと思うが、こうして受け継いできた空気はちゃんと進歩して同調圧力をベースに人類の精神性は変容していく。
個人によって変わる。これは過去の経験に大きく依存する。自分が何をしてどう罰せられたか。他人が何をしれどう罰せられなかったか。特に「自分が罰せられたもの」に関しては他人にも強く求める傾向があるのではないかと思う。ただ、それだけだとセクハラやら不倫やらに強く罰を求める感覚の説明が不十分だな。これは何によって形成されたのだろう。
たとえば昔の自分は「不倫」に強い忌避感があったが、今はかなりの程度緩和されている。今の自分にとっては同性愛とかと同じく「数ある愛の形の1つ」に過ぎないものとして捉えられている。まぁもし今後自分が誰かを愛し、その人に不倫をされたら相当イヤだろうなとも思うが、そっちの想像が全然現実味がないのでこうして書いてみても特に何の感情もわかない。
不倫に関してはまた別の観点があって、「そもそも一夫一婦制は正しいのか?」という問題提起にちゃんと自分が答えられなかった、というのも大きく影響している。これはつまり「自分が当たり前だと思っていたその価値観は本当に正しいのか?」というものであり、「1匹としか交尾しないのは正しいのか?」「複数匹と交尾するのは間違っているのか?」「人間は動物じゃないとでも思っているのか?」あたりが色々と絡んでくる。
どちらにせよ今の自分は「そういう価値観の人も居るよな」という感じで不倫を見ている。別に「自分もそういう人間だから」というわけでもなく、単純に異文化を受け入れたり他者を理解したりそういう過程の1つとして。
じゃあ何故過去の自分が不倫を蔑視していたかと言えば「まわりがそうだったから」「そういう空気だったから」だよな。あの頃はまだテレビを見ていたし、あの頃もスキャンダルの報道が多くてその手のが叩かれたりしてたのをずっと見ていた。
となれば結局「空気」でしかないな。言い換えれば「不特定多数の思い込み」によって伝搬していくものが倫理観だろう。そしてそれが変化するのは「それで困る人達が声を上げた時」かな。まぁ声を上げた程度で変わるものでもないが、発端はそういうところからだよな。
まぁ多少はまとまったが、肝心の「倫理観の齟齬」については届きそうにないか。なんで忌避感レベルの断絶が存在するのか?自分が同じ状況になっても倫理観が変化していないように見える場合があるのは何故か?これ以上は長くなりそうだし一旦ここまでかな。


・「自分の正しさを疑わない人」。
なんか派生でこっちも出てきたので一応。
例えば「主人公たちが自分の正義のためにルールを破る」場合。
これに忌避感を抱く人は「自分達の正義が正しくて主人公たちが間違っている」のだとも考えられる。これは「自分の正しさを疑わない」事だとも言える。
ただ同様に、忌避感を抱かない人は「主人公たちと同様、正義のためならルールを破っても良いと思っている」のだとも考えられ、同じくこれは「自分の正しさを疑わない」事だとも言える。
という事に気付いたのでちょっと面白かった。これもまた一種の「正義VS正義」の構図なのかもしれない。まぁこれ以上の興味はないのでこれ以上は掘らないが。


・仕事。
なんだかんだ一通り終わってしまった。雑記もあれこれ書いてしまったしちゃんと休めてるか微妙だなぁ。途中で明確に休憩を入れたりはしてたけど不十分かもしれない。


・また間食時に柴胡加竜骨牡蛎湯を飲み忘れたか。メモはしてるんだけどメモを見忘れるかぁ。昼飯時や夕飯時もサプリとか飲むようになったし、ちゃんと一通りの食事時にチェックする習慣を付けたいなぁ。


・さっきの「設定で怒る件」がまた少しまとまったので書いておこう。
結論から言えば「リアリティの確保の失敗」なんだよな。これは「プログラマーがフィクションのプログラミングに違和感を覚える」のとかも含めて。「確かにそういう世界が存在する」と受け取るのに失敗している。
倫理観だけはちょっと特殊で、言わば「感情移入の失敗」からの「リアリティの確保失敗」になるのかな?「確かに自分だったらそうするかも」「主人公はもう1人の自分なのだ」と思う事の失敗。これをリアリティと呼ぶかは微妙なところだが、まぁ受け取るのに失敗してるのは同じ漢字がする。
ただ、必ずしも感情移入が必須な物語ばかりじゃないはずだからなぁ。そこらへんの扱いがまだ不完全か。
あとは「想定ターゲット」の問題というか。例えば「本職のプログラマーからはおかしく見えても良い」という踏ん切りはわりとありうる話だろうし、であれば「こういう倫理観を持ってる人からおかしく見えても良い」という思い切りもおそらく存在するのだろう。ただ、プログラミングみたいな職能のようにちゃんと区切れてる感じがしないんだよな。実際、自分がやる場合も職能での足切りはいけそうだが倫理観での足切りは上手くできない気がする。たぶん「これで良いと思ってたのに何故か反発を受ける」という状況になると思う。
ここがなー。なんでそんな齟齬が発生するんだろう。反発自体は別に良いや。それは職能でも起こるし。そうじゃなくて「何故齟齬ができるのか」「何故齟齬の調整ができないのか」あたりが気になる。


・倫理観の齟齬。
まぁ今までの流れで言えば「空気が違ったから」だよな。ただ、その方向で進めて上手くいく感じがしない。
気になるのは「罰とワンセットになっていること」かな。別に「倫理観がおかしいから治せ」とは思ってなくて「踏み外すなら罰を受けて欲しい」と思っているんだよな。これは職能とはちょっと違う気がする。職能の場合は「おかしいから治せ」の方に寄ると思う。
だからある意味「違うことは受け入れてる」んだよな。ただ、同じ世界を生きるものとしてちゃんと罰は受けて欲しいと思っている。それはある意味「同じ世界だと思おうとしている=リアリティを見出そうとしている」であり、「罰を受けていない=リアリティを受け取るのに失敗する」という事になるのかな。
うーん、どうだろうな。やはりリアリティの方面じゃないのか?改めて自分の感覚を観察しても「罰を受けていないからリアリティの確保に失敗した」とは感じていないように見える。それよりはやはり「感情の着地点が用意されていない」事の問題を強く感じているように見える。
なんか方向がズレてきてるか。今回はあくまで倫理観の「齟齬」の話だ。
というわけで「齟齬と罰」で絡めて考えるのであれば「どういう状況でどういう罰を受けたか(受けなかったか)」の齟齬が倫理観の齟齬となって表出するのだろう。であれば「大抵の人が同じ用に罰を受けるもの」ほど齟齬は少なくなるはずだが、これは「交通違反」や「不倫」に対する倫理観の齟齬の大きさと一致しない。
違うな。なんというかこれらを受け入れている人も別に「交通違反や不倫はOK」と考えているわけではないんだよな。ちゃんとNGと考えつつ「それはそれとしてここでは別に本題じゃないし」と切り替えられてる、あるいは「本題じゃないから軽視して良い」と思っている、と捉える事ができる。つまり、「交通違反などへの倫理観の高さ」が違うのではなく、「他の価値との比較」に大きな齟齬がある。つまり単純に言えば「ルール<正義」の人と「正義<ルール」の人との齟齬と同じものが発生している。
ちょっと単純化し過ぎて語弊を招く感じになってるか。もっと抽象化すれば「ルールA<ルールB」と「ルールB<ルールA」の齟齬といった話だ。ちょっと抽象化し過ぎて自分でもよくわからんな。
改めて具体例に落とし込むと「ルール」「正義」「倫理」あたり、いや、倫理はレイヤーが1つ上か。そして正義に関しても「小さな正義」と「大きな正義」が普通に個人内に存在しうる。ここらへんの要素をちゃんと整理しないと進めないか。
例えばルール違反に関しても「車が一切通ってない横断歩道を赤信号で渡る」のと「100人くらい殺す」のが同じ大きさなわけはないし、正義に関しても同様だろう。正義の方はいまいち良い実例が出てこないが。
しかし「個人によって事象ごとに重要度が違う」だけでなく、「同じ事象でも人によって重要度が違う」んだよな。そしてその重要度の違い故に齟齬が発生する。
なんか一周して元の位置に戻ってきた感じもするが、重要なのは「2つの事象が同時に起きており、どちらが重要かが人によって違う」という事かな。交通違反VS正義とか交通違反VS大切な人の命とか。不倫VS自分らしく生きるとか。盗掘VSロマンとか。女を殴るVS女だからといって男と分けて考えないとか。
そうだな。概ね合ってると思う。あとは「何故2つの事象の相対価値が逆転する事があるのか」かな。大きさは違えども「10<20」と「5<8」なら結局後者を選ぶのに変わりはないからな。価値の順序さえ同じなら「どちらを選ぶか」という事に差異は発生しない。
となると答は意外と簡単で、「同程度の価値だから」とかにならないだろうか?まぁ空気によって変動するものではあるんだけど、「同程度だからこそ価値の順序が人によって変わりやすい」というのはありえそう?
例えば交通違反は他人の命を危険に晒す事もあるわけで、「命の価値」として考えると大切な人との命とわりと近い位置にあったりする。そこに「他人を犠牲にして助かった大切な人の気持ち」とかまで考える人の場合はさらに近づいたり、その手のが重なれば逆転したりする可能性はそれなりにある。
盗掘VSロマンに関しては時代=空気の変遷の方が大きいかな。「それは盗掘である」「盗掘は悪い事である」という認識が広がってきたことによる価値観の順序の逆転。
まぁ方向性自体は間違ってないとは思うんだけど、しかしそれだと「意外と齟齬が大きい」事の説明がつかんな。同程度の価値であれば「確かに迷うところだよね」と思う人が多数を占めると思うんだけど、今回の件ではそういう感じではない。つまり「当然こっち」「わかるわかる、自分もそっち」という感じの人の方が多い。「自分はどっちか悩む」という人があまり居ない印象。
であれば、別の可能性として「片方(あるいは両方)の価値の変動が大きい」とかになるか?
例えば「ロマンの価値」はおそらく空気によってそこまで変動しないと思うが、「盗掘のタブー感」は空気によって大いに変動するだろう。
「自分のために」と「社会のために」に関しては両方が空気で大きく変動する。最近はわりと「個人」が尊重される流れになってきてるし、まだしばらくこの流れは止まらないと思うが、ともあれ両方変動しやすい。なので、「交通違反:社会のため」と「正義や大切な人の命:個人のため」の対立は齟齬が大きくなりやすく、不倫などの価値観も同じ用に社会VS個人扱いになると考えられる。
うん。こっちっぽいな。しかも「個人VS社会」で結構な割合をカバーできそうな雰囲気がある。
あと気になるのは「女を殴る」あたりか。これは「女性は大事にしないといけない」という価値観と「女性も男性も基本的に同じように扱わないといけない」という価値観の齟齬だと思うんだけど、これは個人VS社会というよりは平等性の捉え方の話に見える。どっちも捉え方によっては平等なんだよな。まぁなんにせよここらへんも空気での変動が大きい価値観である事に変わりはなさそうだし、今回の解釈で問題はなさそうだが。
というわけでまとめとしては「2つの価値観が対立する場面で、少なくとも片方の価値観が空気で変動しやすいものであれば大きな齟齬が発生しやすい」という感じかな。
気をつけようと思えばできなくもないが、これはこれでなぁ。なんというかそういう場面ってとても大事な場面だったりする事も多くて、そこで「新しい価値観を提示する」という側面もあったりするからなー。これを気にして見せ場が潰れてしまっても仕方ない。そして「盗掘」に関してはそもそもそういう認識もなかった可能性が高いし、あとから価値観が生えてくる事も往々にしてある。あまり気にしても仕方ないのかなぁ。
まぁでもだいぶスッキリした。理解したいところまでは理解できたと思う。そして久しぶりにクソ長い文章になってしまったな。


・まだ残ってるっちゃ残ってるんだけどな。単純な「A<B」ではなく「交通違反しても後から出頭すれば良い」とか「天罰的なものがあればそれで相殺」とかな。まぁここから先は興味がないのでここで思考停止するけど。